みなさん、こんにちわ。ハンナです。
今、主の十字架クリスチャンセンターの群れの教会では、らせん階段を一周し、「ゼロからの出発、時にはマイナスからの出発、信仰による出発、神にある出発、そこから神の御わざが成される!!」と語られています。主は、《北九州生ける神の教会》も、私達もまさに、その流れにしっかり、乗せて下さいました。
5月の教会経済は、マイナスになりそうでした。しかし、主は、祈りに答えて下さり、マイナスになる事なく、祝福されました。
しかし、5月の牧師給料は恵みによって、ありませんでした。4月分の牧師給料は、1万円代でした。しかし、主は、いろんな方を通して、与えて下り、お家賃はお支払いする事が出来ました。しかし、4月分の公共料金 ( ガス・電気・水道 etc) は、初めてお支払い出来ませんでした。まさに、マイナスからのスタートとなりました。この事を、徹底して感謝して、経済が与えられ、主の栄光が現れるように、必死に祈りました。すると、主が、「夫婦で寝る前に、感謝の祈りをしなさい。」と語られました。この主のことばに聞き従い、感謝をすると、翌日から、さわやかに目覚め、気持ちも楽になりました。
そして、「でも、ここから神の御わざが成されるー!」と、いつも告白していました。
6月には入って、日にちが過ぎていくうちに、だんだん気持ちが暗くなってきました。しかし、「主は真実!『養う!』と語られた言葉をほごにされる方ではない!」「主の山の上には備えある!」と徹底して告白しました。
言葉はある!でも、このままでは・・・・・。無料のアルバイト情報誌を貰って来て、見たりしました。
牧師は、アルバイト先に面接に行きました。しかし、主は、牧師に「養う。」と再度、語られました。
夜7時に連絡が来れば採用と言われていましたが、採用の連絡はありませんでした。
ちょっぴり、がっかりしました。アルバイトが出来れば、お家賃の心配をしなくてすむ!と思っていました。また、わたしもそこに行き、二人でアルバイトをすれば、短い期間に支払いがすむと思いました。
すると、私の足が歩くのも困難な状態になりました。これでは、アルバイトは無理!
そんな時、主は、礼拝のとき、ヨシュア記3章5~17節から、「・・・・・『ここに近づき、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。』・・『生ける神があなたがたのうちにおられ、・・・・全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。』・・上から流れ下る水はつっ立ち、・・流れ下る水は完全にせきとめられた。・・・イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。」と語って下さいました。
このことを通して、経済においても、主の奇蹟が起きる事が語られました。
以前、紅海が割れ、不可能と思われた経済が与えられたことを思い出しました。 ( 神のストーリー No . 100 にあります。 )
今度は、神さまはヨルダン川をせきとめられるだけでなく、渡っていよいよカナンの地に入れて下さるんだ、乳と蜜の流れる地に!北九州もいよいよ本格的な宣教が始まるんだ!そのための経済も、主が用意していて下さるんだ!と、喜びが湧いてきました。
・・・一日過ぎ、二日過ぎ・・・また、だんだんと不安が押し寄せて来ました。
しかし、このことも感謝して、【主よ!このままでは、ここにおれなくなります。「仕事に取りかかれ。」と言われているのに、これでは宣教も何も出来なくなってしまいます。】と、心の中で必死に叫んでいました。
牧師が、主の十字架神学校の「祈り」の授業を聞いている時、「必死で祈る!」事が語られていました。丁度その時、電話が鳴りました。
牧師が電話に出ました。
「感謝します。はい。はい!ありがとうございます!!本当に感謝します。主の祝福がありますように。」。だんだん、牧師の声が喜びで満たされ、そして涙声に変わりました。
私は、何が起きたのかしら?と思いつつ、牧師の変化を眺めていました。
電話を切って「○○さんが、献金を振り込んで下さったそうだよ。」と言って、真っ赤な目をしていました。
授業が終わってから、「ちょっと行って来る!」と言って、出かけました。
私は、ぼうぜんとしていました。まだ、状況をよく飲み込めていませんでした。
牧師は、帰って来て涙いっぱいの目で「○○円も振り込んで下さっていた!」と言いました。私は、びっくりしました。そして、その方に、感謝の電話をかけました。かけながら、涙が溢れて来ました。
その方は、「実は、金額は具体的にはわからなかっのですが、2~3ヶ月前から献金することが示されていました。今日は、外出するのは、難しい状況だったけど、どうしても行きたい!と言う思いが強くなって、振込みに行きました。これは、主だ!と思いました。」と言われました。
「感謝します。」と言うと、「これは、主にもらったものですから!何もかも、とても祝福されていて恐いぐらいなんです! 祈られていることがわかります。」と喜んで話して下さいました。
主は、私達の思いをはるかに越え、主の時に主の方法で与えて下さいました。
この献金が与えられなかったら、お家賃も払えず経済的にも実際的にも厳しい状況になっていたと思います。
すでに、携帯電話は切られていました。電気も「不本意ながら15日までに払い込まれなければ、送電をストップさせていただきます。」の通知も届きました。これも初めての経験でした。
この中で、悔い改めと多くの学びを与えて下さいました。
主は、徹底して感謝し、祈り聞き従う事によって、全てを益として下さり、経済を祝福して下さいました。
主に、心から感謝をいたします。
「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
(Ⅰテサロニケ5章18節)「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7章7節)
「全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。』・・上から流れ下る水はつっ立ち、・・流れ下る水は完全にせきとめられた。・・・イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。」(ヨシュア記3章13~16節)