「神のストーリー」(No.261)
≪ロサンゼルスのリトル東京のAZUSA St感謝と賛美リバイバルキャンプの写真≫
≪海外で奇跡的に、危険から守られました。!!!≫
感謝します。
TLEA北九州生ける神の教会のイスラエル岡田です。
「神のストーリー」を、読んで下さり、ありがとうございます。
今日は、「短い秋に感じる教会の祝福」で、「海外で奇跡的に、危険から守られました。」の証を、させて頂きます。
以前、海上自衛官として勤務していた時の話です。
護衛艦に乗っていました。
以前、広島県呉市に住んでいました。
リンパックで6か国での合同訓練がありました。
献身をお祈りしている時でした。
夫婦とお祈りしていると、妻の天の喜びの器ハンナさんを通して、神さまから「今回のリンパックは御心です。しかし、危険です。お祈りしなさい。」と語られました。
そのために、教会でもお祈りしていただきました。
リンパックの訓練ので、護衛艦で出発しました。
訓練の合間に、グアム、ハワイ、サンディーゴに、入港しました。
リンパックの訓練中、危険な状況が3回ありましたが、完全に守られました。
とりなしのお祈りを、心から感謝いたします。
護衛艦がサンディーゴに入港したとき、護衛艦からディズニーランド行きのバスツアーがありました。
その時は、2度目でした。
バスツアーの途中、「ロサンゼルス教会の礼拝に出席したい。」と思わされました。
そのため、バスツアーの責任者の方に、「ロサンゼルスに知り合いがいますから、バスを降りていいですか。」とお聞きすると、「はい。」と言われました。
そのため、リトル東京でおろして頂きました。
そして、DOUBLETREE BY HILTONに、宿泊いたしました。
後でわかったのですが、リトル東京は、AZUSAリバイバルの地でした。
ロサンゼルス教会に連絡すると、次の日、教会員の方が迎えに来てくださいました。
迎えに来ていただき、心から感謝いたします。
ロサンゼルス教会の礼拝に出席して、神さまの素晴らしいご臨在に、感動しました。
主の祝福が溢れるばかりに、注がれた素晴らしい礼拝でした。
礼拝が終わって、「インドネシア教会に奉仕に行きます。行かれますか。」と言われたので、「お願いします。」と言いました。
インドネシアの教会でも、溢れるばかりに祝福されました。
すると、「ロサンゼルス教会のフェィ佐々木さん」が、「何で帰りますか。」と聞かれました。
「タクシーで帰ります。」と言うと、「それは無謀です。」と言われました。
そして、「ロサンゼルスからサンディーゴまでは、飛行機で移動する距離です。アムトラックを紹介しましょう。」と言われ、当時大学生の方とアムトラックの駅まで、送っていただきました。
アムトラックに乗り、サンディーゴまで、カルホルニアの海岸線の夕焼けを見ながら、移動し、感動いたしました。
サンディーゴ駅に着くと、タクシーで護衛艦が停泊しているベース向かい、無事に帰艦することが出来ました。
神さまと、教会と、とりなしのお祈りをして下さった方々に、心から感謝いたします。
今回、白馬キャンプでフェィース佐々木牧師とお話ししているとき、「あれは、奇跡ですね。」と言われました。
もし、フェィース佐々木さんが、「何で帰りますか。」と聞いて下さらなければ、どのような危険にあったか分かりませんでした。
海外生活の経験もなく、英語を話せませんでした。
海上自衛隊全体に影響を与え、大変な事になっていました。
海外で奇跡的に、危険から守られたことを、神さまに心から感謝いたします。
私の宿泊したホテルに、「感謝と賛美リバイバルキャンプ」で、遣わされ、宿泊いたしました。
そして、AZUSAリバイバルのポイントの地に、再度導かれ、喜びの感動に満たされました。
神さまが、特別な計画を持って導いて下さったことを、思わされています。
献身して、「感謝と賛美リバイバルキャンプ」に遣わされ、多くの祝福を体験しました。
リバイバルのポイントのAZUS Stの日米商工会館で礼拝をささげることが出来ました。
神さまの特別な御臨在がありました。
主の祝福が溢れるばかりに、注がれたことを、心から感謝いたします。
「短い秋に感じる教会の祝福」で、「海外で奇跡的に、危険から守られました。」の証を、読んでくださり、心から感謝いたします。
「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5章18節)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)
「求めなさい。そうすれば与えられます。」(マタイ7章7節)
「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1章37節)
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)