7月, 2014

「神のストーリー」(No.200)

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≪「イスラエル岡田牧師夫妻と、お母さん」の写真≫
「老化した皮膚がつるつるになったお母さんと」

衰弱した義母 つらい思い出からの解放

肌もすべすべ いやしを体験し、81歳の母は、ますます元気に

≪義母の体調が悪化≫
妻の母が体験した、いやしの証し(体験談)をさせていただきます。
妻の母は、81歳で、広島に住んでいます。
リュウマチの薬の影響と、一人暮らしで食欲も無くなり、身体が衰弱していき、危ない状況になりました。
そのため、私たちと一緒に暮らすために、私と妻とで、北九州から広島まで車で迎えに行きました。
≪食事もできない状態≫
北九州に来た時は、食事をほとんど受け付けない状態で、一日中寝ていました。
そのせいか、皮膚が老化し、まるでロウのように青白く、生気が全くありませんでした。
手の指先は両方とも、あかぎれのように深く切れて、爪も変形していました。
それだけではなく、足の裏も同じように深く切れていたので、靴が痛くて履けませんでした。
髪の毛も、恐ろしいほどバッサバッサ抜け、抜けた髪の毛が片手にいっぱいになりました。
しかも、声も全く出なくなっていて、ひそひそ声で話していました。
何もかにも、痛々しくて、私達は、胸が痛みました。
≪毎日の祈り≫
妻は、時々、お母さんの寝息を確認するぐらいでした。
そんな状況だったので、私たち夫婦は、お母さんはもう広島には帰れないのではないかと、心配しましたが、このことも、徹底して感謝し、お祈りしいました。
シャワーを浴びても、お手洗いに行っても、何かしたらすぐに、気分が悪くなり横になっていました。
そのたびに、私たち夫婦で、私がいない時は妻が、何度も何度もいやされるように祈りました。
そして、毎日毎日、「義母さんが、いやされ健康になり、食事を楽しく喜んで食べられるように」お祈りしていました。
教会でも多くの方々が、お母さんがいやされ、健康になるように、お祈りして下さっていました。

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「つらい思いから解放されたお母さん」

 

≪表情の変化 食欲も≫
霊的な影響から解放された
お母さんは、起きている時には、過去のつらい思い出を、何度も何度も話していました。
日曜日の礼拝の時、神さまから、「母は、イエスさまでない他の霊的な影響を受けていること」を語られました。
そのため、帰ってから、霊的な影響が断ち切られるようにお祈りしました。
すると、母に変化がありました。
暗かった表情が明るくなり、食欲も少しずつ出てきて、「おいしいねぇ。」と笑顔で食事をするようになってきました。
それからというもの、時には夜遅くまで起きて、好きな手芸の本を見たり、信仰書を読んだり、日々に元気になって行きました。
また、広島に帰ったら、「教会のタペストリー」や「料理を作りたい」と言っているのです。
義母は、解放を受けたのです。
≪皮膚がつるつるに≫
それだけでは、ありませんでした。
お母さんの、足の裏の皮膚が激しく老化し、厚いゴムのようになり、しかもびりびりにひび割れていましたが、その皮膚が、少しずつ剥がれてきて、その後はきれいな皮膚になったと言い、足の裏を見せてくれました。
確かに、老いた皮膚がはがれて、しかも、幼子のようなきれいな肌になっていたのです。
足の裏だけでなく、体、全身が若返ってきています。肌もカラカラに乾いて地割れした田んぼのようだったのに、すべすべになってきています。
妻は、「私よりきれいになった」と言って、喜んでいます。
神さまがいやしてくださったのです。

≪すべてが益に≫
私たちは、経済の訓練の中にあり、なかなか、義母の所に行ってあげることができませんでした。
しかし、神さまに御心の時に行けるように、祈っていました。
義母の体調が悪くなるということが許されましたが、このことを通して、お母さんを北九州に連れて来て、一緒に生活することができるようになったのです。
このように導いてくださった主に、心からの感謝をおささげします。
食欲が戻ったお母さんは、元気に食事をとることができるようになり、 「今回の事で食事が大切だとよく分かった」と話していました。
私たちも、主の働きのための健康的な食事をすることを教えられ、多くの学びを受けました。
本当に、全てが益です。

≪元気になって広島に≫
北九州に来て約40日間、すっかり元気になったお母さんは、「早く広島に帰り、甥っ子を教会に連れて行きたい」と言いました。
私たち夫婦は、車で実家まで送って行きました。

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「広島に着いたお母さん」

長い間、掃除が出来ていなかったので、夫婦で掃除をしているのを近所の方が見られて、義母は亡くなったので、他の方が住むための掃除をしていると思われたそうです。
その方は、北九州に来る前のお母さんの様子を知っておられて、元気になって帰って来るとは思っておられなかったようでした。
「お母さん、大きな声で、話して良かった。」とビックリしながら言われていました。
≪広島での生活≫
広島に帰った義母の所に、姪が共にすむようになり、姪のために、朝食と夕食をつくるようになりました。体が衰弱した時のお母さんには、考えられない事です。そして、教会のタペストリーと献金袋を作って、教会にお送りしたところ、牧師ご夫妻は、涙を流して感動されたそうです。そして、甥と電車に乗って、1時間以上かけて、広島教会の礼拝に行っています。「体調はどうですか。」と聞くと、「すこぶる快調」と言っていました。お母さんは、義妹の家族に連れられて、「バイキングに行って、お腹いっぱい食べて、2kg増えた。」と言って、喜んでいました。
主の祝福が溢れるばかりに、注がれていることを、心から主に感謝いたします。

「神を愛する人々、すなわち 、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益として くださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)
 「彼のうち傷によって、私たちは、いやされた。」(イザヤ53章5節)

(主の十字架クリスチャンセンター北九州生ける神の教会 イスラエル岡田)

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「神のストーリー」(No.199)

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≪「天の喜びの器ハンナさんと、お母さん」の写真≫
「つらい思い出からの解放されたお母さんと、楽しい食事に」

感謝します。
「天の喜びの器ハンナ」です。
窮地のむ中で与えられた神の助け
経済が満たされ、仕事も与えられた
≪蓄えが無くなる≫
私たちは、北九州に遣わされて15年になり、現在、主人は、北九州の教会の牧師として、神さまに仕えさせていただいております。
初めの7年間はお仕事をさせていただいていた時の蓄えで、生活をしていました。
ある日突然、主人が「もう、お金無いからね」と、言いました。私は、「え? お金が、もう無いってどういうこと?」と聞きました。主人は、「預金が無くなったのだよ。これが最後だから」と言いました。
私はその時、来月からどうすればいいのだろうかと不安になりました。でも「全てのことを感謝しなさい」と聖書のみことばにありますから、そのことも夫婦2人で、感謝して祈っていきました。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(テサロニケ人への手紙第一5章16―18節)
≪家賃も払えなくなる≫
とうとうお家賃が払えない状況になり、不動産屋さんからの催促の電話が掛かりました。私たちは追い詰つめられて行きましたが、徹底的して感謝して祈り、神さまに喜びをもって感謝して踊り祈りました。
神さまの導きで献身したのにどうして、こんなことになるんだろうと思うと涙が出てきました。
このままだったら、家賃も支払えないどころか、水道代も電気代もガス代もみんな払うことができず、追い出されてしまうこの先どうしたらよいのか、ホームレスになってしまったらと、どんどん不安と恐れが大きく膨らんで行きました。
「大丈夫。神さまがともにおられるから」、二人でまた感謝し、踊って神さまに祈りました。そんなことを繰り返して、疲れてしまって、横になっていました。
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」(マタイの福音書7章7-9節)
≪与えられた経済≫
すると電話が掛かりました。
それは、私の母からの電話でした。対応に出た主人の声がどんどん明るく、大きくなって「感謝します。ありがとうございます」と電話を切りました。「お母さんが、「保険が入ったから、少しだけれど遣って」と、お金を振り込んでくださったそうだよ。行ってくるから」と郵便局にお金を確認しに行きました。
帰ってきた主人の顔は涙で顔がぐしゃぐしゃで、「びっくりするほどの金が振り込まれてあったよ。本当に感謝だなあ」とぽろぽろ涙を流しながら言いました。
私たち夫婦は、手を取り合って、神さまと母に感謝をしました。今度は、喜びの踊りと感謝で神さまをほめたたえました。
≪神さまの時は最善≫
母は、私たちの状況を何も知りませんでした。しかし、この時に、保険が満期になり、お裾分けと言ってお金を振り込んでくれました。まさしく、神さまが働いてくださったとしか思えません。
この時与えらえた経済によって、お家賃を払うことができ、全ての支払いを済ませることができました。

 

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「ローズガーデンコンサート:天の賛美隊・不思議」
グリーンパークの春のバラフェアーに招待されました。

この後に、主人はアルバイトの面接に行きました。そして、その時点で、明日から来てくださいと言われて、今もそこで、お仕事をさせていただいています。
その職場で、たくさんの方がいやしの体験をされたり、救われたりしています。
仕事が与えられ、そのことを通して生活が守られ、祝福されています。
私たちの窮地を救ってくださった神さまに心から感謝をしています。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ人への手紙8章28節)
九州のホームページ掲載の新しいコンテンツ「思わず笑顔になってしまうはなし」より。

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「神のストーリー」(No.198)

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≪「ローズガーデンコンサートにて:ホーリースピリットチーム≫
「グリーンパークの春のバラフェア」に招待され、祝福されました。

感謝します。
Eです。

今日は、「急死に一生を得た」お話をさせて頂きます。
神さまは、激しい咳をいやし、私を完全に、 守って下さいました。

わたしが、幼稚園で働いている頃、咳が2ヶ月くらい続いた時がありました。
内科での診断は百日咳かな?
とのことでしたが、薬をもらっても治らず、教会でも祈って頂いていましたが、全く良くなりませんでした。それが、同じ時期に2年続きました。

職場の先輩から耳鼻科に行くことを勧められ、結果は「咳喘息」でした。
「小さい頃鼻炎だったこと、喘息の場合は
どんな咳止めの薬も全く効かないことを指摘されました。
あげくの果てに、「ほっとくとすぐ喘息に移行するから、症状が出たらすぐ病院に来ること。大人になってからの喘息は、治らないんだから。」と、さんざん脅されました。
また、「喘息の場合はどんな咳止めの薬を飲んでも効かない。」と言われました。
そんなん無理やし!! と心の中で叫びながら、いえ感謝しながら帰りました。

さて、咳の症状は教会のお祈りと、吸入や貼り薬などで 徐々に良くなってはいたのですが、気管支の炎症がなかなか引かず、治まってはまたぶり返し、を繰り返していました。

ある日、仕事が終わって、車を運転し教会に行く途中、いつもの咳よりもずっとずっと長引いて、喘息の発作って、こんなのなんだろうなぁと思っていると、本当に息が出来なくなり、もう死ぬかも!!と思いました。

とにかく牧師に祈ってもらおうと電話しましたが、咳ばかり出て、息ができず、当然 状況も説明できません。 ですが、ただ事ではないと思って下さったのか、すぐにいやしのお祈りをして下さいました。

すると、 しばらく祈って頂くと、やっとひと息つくことができ、ホッとしました。
主は、激しい咳を、いやして下さり、私を完全に、 守って下さいました。

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「グリーンパークのイベントホール:ホーリースピリットチーム」
主に、心から感謝いたします。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)

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