6月, 2010

心室中核欠損症の手術をしなくてすみました!!!


イオン八幡東ショッピングセンターのコンサート:聖霊の器

感謝します。熊谷善枝です。

息子のことを、お証しさせていただきます。
息子は、今、高校三年生です。
「心室中核欠損症」と言う病気です。心臓に、穴が開いているのです。
「喜びから一変して」
息子が生まれて5日目に、お医者さんが「心臓から雑音が聞えるので、退院したら大学病院で検査を受けて下さい。」と言われました。
私は、まだ、産後の不安定な状況の中で、心臓に異変がある、生まれたばかりの息子を見ながら、ただ、涙が出るばかりでした。
息子が生まれて、喜びの只中で、不安と恐れと悲しみに一瞬のうちに一変してしまいました。
この事を教会に連絡して、祈っていただきました。
【何があっても、イエスさまは、最善にして下さる。】と、信頼して祈っていく中で平安になりました。

「大学病院へ検査に」
退院後すぐに、その足で大学病院に検査に行きました。
レントゲンを撮りました。
その時、動かないように、ちっちゃな手や足をベルトで固定された息子を見るのがとても、つらく悲しかったです。
検査の結果、心臓に、穴が開いているのが分かりました。
「心室中核欠損症」と言う病名でした。
お医者さんは、「穴は比較的小さく乳児期に閉じるケースもあるので、半年に一度検査をして様子を診ていきます。」と言われました。
乳児期に心臓の穴が、閉じるケースがあると言われる言葉に少し、ホットして、その事に望みをかけました。

「望みは、消えて」

心臓の穴は、乳児期に閉じませんでした。
小学校の低学年の時の検査で主治医の先生が「このまま穴が開いたままだと、心臓に菌が入ったりすることがあるので、注意しなければならないこと。穴が開いたままだといろんなリスクが伴うので、小学生のうちか中学生のうちに、手術を考えてみられてはどうですか?弁の逆流があれは、すぐに手術になります。」と言われました。

「心からの祈り」

手術と聞いて、ショックでした。病気が分かった時から夫婦で祈り、教会でも祈っていただきました。手術のため祈ると、どうしても今ではないように思いました。手術どころか、神さまは中学三年間、陸上部で活躍させて下さったのです。高校も陸上部の推薦で、陸上で有名な高校に入学させていただき、多くの大会に出る恵みを受けています。息子は今、高校3年生(18歳)になりました。教会の祈りと主の守りの中で、心臓の弁の逆流もなく、何の問題もなく過ごす事が出来ています。私の中に手術が、主の御心なのか。主を通してのいやしが与えられてほしいという思いの中で、ひとつのラインを引いていました。それは、大学生や社会人になる前に、何も起こらなければ、手術をしようという思いでした。

「あなたの祈りは聞かれています」

4月の北九州カリスマ聖会で、講師の方に、「息子の手術を19~20歳で考えていること。そうでなければ、はっきりわかるように示されるように。主の奇跡が起き、穴が閉じ完全にいやされるように。」と、祈っていただきました。預言で、「祈りは聞かれている。毎日、手を置いて祈りなさい。」と語られました。預言は、吟味が必要です。預言が語られると、心に平安が与えられ、慰めや、希望が与えられ、涙が溢れてきました。主に信頼して、すべてを感謝しました。

「お医者さんが、手術しなくても良いですと言われた」

定期健診のために、病院に行き結果を聞きました。その日は、主治医の先生ではなく、上司の医師の方が見てくださいました。お医者さんに、「手術をそろそろ考えていますがどうでしょうか?」と聞くと、【10年、20年前は、この病気は手術を勧めてきました。しかし、これまでのデーターを見ると、手術をしても、しなくても、さほど結果は変わりません。医学も、日々進歩してきています。カテーテルを通して、簡単に穴を閉じる手術も出来るようになるでしょうから、様子を見ていけばよいでしょう。注意すべきことを注意していけば、普通どおりにスポーツでも、何でもやっていいですよ。」と言われました。

それを聞いて、私は、嬉しくて涙が出そうでした。息子は、何も言いませんでしたが、ずーっと、手術をしないでいやされるように、祈りって来たので、ほっとした表情をしていました。

「教会の祈りに感謝」

教会の祈りと、主の守りの中で、これまで、手術なしで守られてきたことが、はっきりと分かりました。また、カリスマ聖会の祈りの中で語られた預言の通りに、「祈りは聞かれている。」と語られたことが、今回、はっきりと分かりました。更に、完全にいやされるように、教会で祈っていただき、家族でも祈っていきたいと思います。すばらしい主の守りと、導きに、心から感謝します。

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5章18節)

「教会はキリストのからであり、いっさいのものをいっさいのものによって
満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)

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