1月, 2010

甘えから従えなかった事を、気 づかせて下さった神

感謝します。佐伯真由です。

2004年6月5日(土)、午後12時から『第10回北九州生ける神の教会のゴスペルコンサート』が「平尾台自然の郷」で行われました。神さまが、造られ た自然の中で、賛美をささげる事の恵みを知りました。

コンサートが終わり、コンサート会場の「野外ステージ」の横にある子供たちの遊び場で、少し遊ぶ時間が与えられました。子供たちは、喜んで汗びっしょりか いて、おもいっきり楽しむことが出来ました。私も、子供たちと一緒になって、トランポリンで跳ねたり、遊んだりしたので、少し疲れて家に帰りました。

この日、夜6時から、教会で、「賛美の祈りと練習」がありました。子供たちは寝ているし、私も疲れており、コンサートに従ったので、『今日は、もう「賛美 の祈りと練習」に行かなくてもいいだろう』と思い、行きませんでした。

翌日の「主日礼拝」は、「賛美リーダー」の奉仕がありました。朝礼拝に行くと、牧師から『昨日、「賛美の祈りと練習」に来なかったので、今日は「生ける神 のしもべチーム」で前半も後半も賛美します。』と言われました。
その時、私は、昨日、『神さまが「賛美の祈りと練習」に行きなさい!』と何度も語っておられたのに、聞かなかった事を思い出しました。

『自分自身の甘えから、失敗したな!!』と反省し、悔い改めました。礼拝の祈りの時、「神さま、あなたにどんな時にも従わせて下さい。聖霊で満たして下さ い。」と真剣に祈りました。

礼拝の後半の賛美で『生ける神のしもべチーム』で賛美に立っている時に、聖霊が触れて下さって、涙が止まりませんでした。

家に帰ってからも、その時の事を思うと涙があふれました。私は、『どうして、こんなに従っているのに、ポイントがずれてしまうのだろうか?』と考えている と、私の回りの人達もみんな、自分自身の甘えの中で生活していて、その中に私自身も知らず知らずの内に巻き込まれ、惑わされていた事に気づかされました。

「忠実に行いなさい。」(Ⅱ歴代誌19:7)とあるように、一つ一つ、 単純に、素直に従って行きたいと思います。

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みからだの教会の祝福

感謝します。エリヤ山下です。

「主の十字架クリスチャンセンターの群れ」の「北九州生ける神の教会」に戻って、8ヶ月がたちました。

先日、娘の「ハンナ」が、「友だちの『頭痛』のために、『心の中』で祈ったら、その子の『頭痛』がなおった。」と言っていました。次の日、「別の男の子が 『おなかが痛い』と言うので『心の中』で祈ったら、『また、なおったよ。』」と言っていました。牧師に話すと、「賜物が開かれて来ています。」と言われま した。そして、「教会の管理の下で、賜物を用いることを教えなければ。」と言われました。

私は、いま、教会の早天祈祷、その他の祈祷会に出席し、各礼拝に出席し、礼拝をささげています。その中で、賜物が開かれていくのを感じています。

この教会を離れている間は、「見分け」、「吟味」が弱り果てていました。しかし、「群れの教会」に戻り、教会に属することによって、以前にもまして「見分 け」、「吟味」や「賜物」が、開かれてきているのを感じています。教会はキリストのからだであり、私もそのみからだの一部分とされたことを、心から感謝し ています。

みからだである教会の管理の下、権威と秩序に従うことによって、「やすらぎ」を得ているのです。そして、教会の守りと、恵みと祝福を体験しています。

すべての栄光を主にお返しいたします。

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものを、
いっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)
「あなた方はキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(Ⅰコリント12:27)

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イエスさまは、心の中の祈りに答えられる

みなさん、こんにちは。山下ハンナです。

私は、小学6年生です。

同じクラスの男の子が「頭が痛い。」と言いました。でも、男の子だし、「お祈りしてあげようか。」と言う、勇気がありませんでした。で も、かわいそうだと思ったので、心の中でイエスさまに『 A 君の頭の痛いのをいやして下さい。』と祈りました。そして、少ししてから、「頭の痛いのなおった。」と聞きました。「A君」は、「良くなった。」と言いま した。

私は、びっくりしました。家に帰って、パパにこうふんして、「心の中で、イエスさまに祈っただけなのに。A君の頭の痛いのがいやされた よ。」と言いました。

次の日、別の男の子が、「おなかが痛い。」と言いました。また、このときも、「お祈りしてあげようか。」と言う、勇気がありませんでし た。でも、かわいそうだと思ったので、心の中で、イエスさまにいやして下さいと祈りました。

少ししてから、「おなか、どう。」と聞いたら、「痛くなくなった。」と言いました。私は、また、びっくりしました。そして、『イエス・ キリストの御名に力があるんだ。』と思いました。家に帰って、「パパ、また、祈りが聞かれたよ。B君の頭の痛いのがなおったんだよ。」と言いました。

パパは、「教会の牧師に報告した方がいいよ。」と言いました。ですから、牧師にこの事を報告しました。牧師は、教会で、このことを証し してくださいました。イエスさまに感謝します。

私は、「ヤング祈祷会」と「子どもと大人の祈祷会」で、毎週祈っています。さらに、祈りが引き上げられるように、祈っています。そし て、イエスさまの御心を行っていきたいと思います。イエスさまに心から感謝します。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。
『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威があたえられています。』」
(マタイ28章18節)

「彼(イエス・キリスト)の打ち傷によって、私たちはい やされた。」(イザヤ53章5節)

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