4月, 2019

「神のストーリー」(No.214)

「白馬キャンプ2018:北九州生ける神の教会員の方とお母さん」

《お母さんの死そうな胸の痛みがいやされました。!!!》

感謝します。
天の喜びの器ハンナです。
今日は、「お母さんの死そうな胸の痛みがいやされた!」のお話しをさせていただきます。
私たちの群れの教会では、毎年、夏と冬に長野県の白馬でキャンプが行われています。今回、2月27日~3月1日まで、「スネルゴイ(同労者)キャンプ」が白馬の素晴らしいホテルグリーンプラザで行われました。
私は、ずっーと、体調が悪くてあちこちの病院に通っています。そうでない日は、横になっていることが多く、とても、長野県までは行けそうにないと思いました。
それに、今回からは、夏同様冬も長崎からバスが出る事になりました。
長時間、バスに乗って座ったまま白馬までは、とても無理!と思い、牧師である主人に「今回は、行けそうにないから、一人で行って。」と言っていました。
でも、主人は、神さまから「夫婦で行きなさい!」と語られていたそうです。だから、バスの申し込みと共に、キャンプの申し込みと宿泊費も振り込んでしまいました。
私は、キャンセル出来る直前まで、「絶対無理だから、キャンセルして。」と言い続けていました。
でも、主人は、「神さまが、夫婦で行きなさい!」と導かれているからと、あとには引きませんでした。
それに、今回は、教会からめぐみちゃんが参加する事になりました。
行かない訳には行かなくなりました。
それに、キャンセルしたら、キャンセル料がかかりますと決められた日が来てしまい、私は、仕方なく行く事にしました。
主人の方は、サッサと荷物のパッキングを済ませてしまっていましたが、私は、体調が悪くて、気持ちも重くて・・・なかなか、荷物のパッキングが出来ませんでした。
出発当日になってやっと、思い腰を上げて荷造りしました。
福岡の大観壮に車を置かせて頂き、バスに乗り一路白馬に向かって出発しました。
そのバスは、私の大好きな色の濃紺で素敵なバスでした。
途中、少しきつい時もありましたが、無事に長野の白馬に行くことが出来ました。

「白馬スネルゴイキャンプ2019:イスラエル岡田牧師ご夫妻(右側:ハンナさん)」

キャンプでは、賜物(聖書のⅠコリント12:8~10に書かれている9つの賜物)の訓練がなされています。私たち夫婦は、いやし(悪霊追い出しを含む)の賜物のセミナーに出させて頂きました。
実地訓練で、いやしのお祈りの必要がある方のお祈りをする事が導かれました。私は、いつも祈って頂く側でしたが、この中で、祈られる側ではなく、祈る側になるようにと神さまに導かれました。
私は、お祈りさせて頂く事に、いつも一歩引いていました。
なぜなら、お祈りさせて頂く方の状況の影響を受けてしまうからです。
例えば、気分が悪い方のいやしのお祈りを主人と一緒にさせて頂くだけで、気分が悪くなると言う具合に。
でも、一歩引いていた事を悔い改めると、いやしのお祈りに真剣にむきあう事が出来ました。
お祈りさせて頂いた方の症状がいやされて、喜んでおられるのを見て、とても嬉しくなりました。
このいやしの賜物の特訓で、沢山の方の病がいやされました。
私たち夫婦チームを通しても、「足のしびれ」がいやされ、「耳が聞こえにくい」方がいやされ、心の病んでいる」方もいやされ、「頭と首と肩の痛み」のある方がいやされました。
素晴らしいセミナーに参加させて頂き、本当に、感謝いたします。
長野から帰ったら、すぐに母から電話がありました。
母は、胸が痛くて、青息吐息で「もう、生きられない!」と言いました。
主人が、すぐにいやしのお祈りをしてくれました。
傍で私も一緒に、心を合わせていやされるように、お祈りしました。
主人が、「お義母さん、どうですか?」と聞くと、「まだ、変わらない」と言ったので、もう一度お祈りしました。すると、「少し、楽になりました、有り難う。」と。でも、まだ、弱弱し声でした。
一人で住んでいるので、心配でした。
電話を切って、5分もしないうちに、母から電話がかかりました。
「ほんとうに、痛くない楽になりました。ありがとうね。」と、明るい声で、喜んで言いました。
「ほんとに、不思議!もう、生きられんと思ったのに。」と、何度も言っていました。
私は、「いやして下さったのは神さまだから、神さまに感謝しよう。」と、母さんに言って、一緒に神さまに、心から感謝しました。
翌日、お義母さんに電話した時も「祈ってもらってから、胸が痛くないんよ。」と、大変喜んでいました。
「お母さんの死そうな胸の痛み」をいやして下さった主に、心から感謝いたします。
永遠の愛のひかりで、母を愛して下さり、「激しい胸の痛み」をいやし、解放して下さった神さまに、心から感謝します。

「北九州空港のゴスペルコンサート:聖所から流れる命の水(右側:ハンナさん)」

「彼(イエス・キリスト)の打ち傷によって、私達はいやされました。」(イザヤ53章5節)

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「神のストーリー」(No.213)

「神のストーリー」(No.213)

「北九州空港のコンサート:天の賛美隊・不思議」

≪神さまの愛に触れられ、一新されました≫

北九州の岡田です。

今日は、愛(アガペー)を知って命をかけていいと思った!!!」で、「神さまの愛に触れられ、一新されました」のお話しをさせていただきます。

クリスチャンになる前の私は、赤面症で、激しく緊張症し、激しく上がり症で、人前では話が出来ない者でした。

ところが、小さいころに神の国の事や世界の事に思いを巡らせていました。

不思議な事に、成人してから、イエスさまを信じ、従い始めてからそのことがかなえられています。

私は、長崎県雲仙市小浜町の田舎の出身です。

妻には、私の田舎もすごい田舎だったのに、あなたの田舎は更にすごい所と言われています。

なんと、谷間にあり、周りに家がないのです。

小さいころ。野原で空を見ながら、神の国はどんなところかなあと、思ったり、世界はどんなところかなあと思っていました。

中学校を卒業して、集団就職して大阪の堺市の給食関係の会社に就職しました。

2年目から、定時制高校の通うようになりました。

4年生の時に、英語の先生が聖書の創世記のところから、ヨーロッパのクリスチャンの方は悪魔が来ないように、カーテンをしています。

これは、本当かどうかわかりません。

しかし、そのことがきっかけに、近くの教会に行きましたが、意味が分からず、教会に行かなくなりました。

ところが、定時制高校を卒業してから、海上自衛隊に入隊しました。

同期に、熱心なクリスチャンがいました。

以前、教会に行っていたことが懐かしくなり、教会に一緒に行くようになりました。

イエスさまを信じ、聖書を読んでいる時、「神の国は、人の目で認められるようにしてくるものではありません。『そら、ここにまる。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17章20~21節)を読んでいる時、神の国は、イエスさまを信じるとき、私のうちにあることを強く思わされました。

そして、「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5章17節)のみ言葉が、飛び込んできました。

このみ言葉を通して、イエス・キリストを信じるとき、神の国は私の内にあることを強く思わされました。

そして、神さまが共におられる喜びで満ち溢れました。

今までの人生が、まったく変えられました。

そして、父なる神、子なる神、聖霊なる神の唯一の神が共におられる喜びで満たされました。

聖書を読むのが楽しく、祈ることが楽しみになり、教会に行って礼拝することが楽しみになりました。

聖書にあるように、神さまによって、新しくされました。

祈りと願いがどんどん答えられています。

赤面症もいやされました。

激しい緊張症もいやされました。

激しいあがり症もいやされました。

海上自衛隊の時にも、神さまに祈り聞き従う中で、溢れるばかりに祝福さました。

途中、部内幹部候補生学校に入学し、卒業後幹部自衛官として、勤務し祝福されました。

日本の各地に行くとともに、ハワイ、グワム、サンディゴや護衛艦で世界一周にも行きました。

神の御心を行うために、神さまに祈り聞き従う教会に導かれました。

聖書解釈がすぐれた教会で、天国の事や永遠のことが開かれています。

また、海外宣教の教会で、イスラエル、パトモス、アメリカ、ペルー、カンボジア、アジアの国などにも遣わされました。

賛美の働きも祝福されています。

私の所属している教会からも、オリジナル賛美が、与えられ、賛美隊が生み出されています。全国ゴスペルコンテストにも毎年参加させて頂いています。

いやしの働きにおいても、「狭心症」「自律神経失調症」「白内障」「リュウマチ」などが次々にいやされています。7年間で、1200以上の神のいやしが起きています。

小さな時の願いも、次から次へとかなえられています。

本当に、神さまに愛されていることを、日々体験しています。

私のような罪人を、十字架に掛かり、罪を身代わりとなって、愛して下さっているアガペイの神さまに、命を懸けて従っていきたいと思っています。

「愛(アガペー)を知って命をかけていいと思った!!!」で、「神さまの愛に触れらて、一新されました」のお話しを、終わらせて頂きたいと思います。

皆様の上に、神さまの祝福が溢れるばかりに、注がれますように。

「神の国は、人の目で認められるようにしてくるものではありません。『そら、ここにまる。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17章20~21節)

「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5章17節)

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