天国への凱旋と家庭礼拝の祝福!!

感謝します。佐伯真由です。

2005年8月2日(火)に、私の実家で牧師夫妻が来られて、家庭礼拝が導かれました。
この時、おばあちゃんは大腸ガンのため再入院していて、一時帰宅を申し出たのですが、家には帰れませんでした。
お母さんと私だけでした。お母さんは、おばあちゃんの看病で疲れていて、集中できずボーットしていました。しかし、「一粒の麦」(やすらぎの歌集4集)の賛美が成されると、急に歌詞を自分の前に引き寄せて、じっと見ていました。
メッセージの最初に、天国の事が語られました。礼拝が終わって牧師が「今日、主は、天国の事も語るように導かれました。」と言われました。

メッセージの最初に、天国の事が語られると、お母さんも私も、礼拝の中で元気になりました。
そして、家庭礼拝の後、牧師夫妻と共におばあちゃんの入院している病院に行きました。
おばあちゃんは、ハンナさんが声をかけると顔いっぱい笑顔で、喜んでいました。
おばあちゃんは、何も食べられなくなり、24時間点滴をしているので、体がきつそうでした。
牧師が「おばあちゃん、神様を礼拝しましょう。」と声をかけられ、みんなで小さな声で賛美をささげました。「♪十字架―に主イエスーわが罪のゆえー贖いのみわざーなしーとげらーれたー・・・・・・・・♪」(やすらぎの歌集2集)
すると、おばあちゃんの隣のベットの熟年の男性が「牧師さんですか?」と言われました。私が「はい。」と答えると「私の家の隣は、牧師さんです。私も入院 する前に祈ってもらいました。」と言われました。私は、びっくりしました!ここにも、神さまの不思議がありました。

ですから、病室にもかかわらず、安心して、礼拝をささげることが出来ました。主の備えがあったことを思わされています。
牧師が「おばあちゃん、ハレルヤと言って、神様をほめたたえましょう。」と言われました。そして、みんなで「ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。」と小さな声 で神様をほめたたえました。すると、おばあちゃんも声をふりしぼって、かすれた声で一言「ハレルヤ」と神様をほめたたえました。
その後、牧師がいやしの祈りをされると、主が触れてくださり、おばあちゃんはすこやかに眠ってしまいました。私は、感謝でいっぱいでした。

その家庭礼拝の3日後、8月5日(金)午前7時24分、おばあちゃんは天国へ召されていきました。
この日の早朝、お母さんから「おばあちゃんが、危篤!」と電話がかかりました。私は、すぐ、教会へ電話をして執り成しの祈りをお願いしました。そして、車を運転し、実家に向かいました。
以前、おばあちゃんが大腸ガンで、もう長くはないと聞き、実家から自宅に帰る途中、涙が溢れる中で、やっと感謝し始めた時、いきなりパトカーに乗っておら れる、お巡りさんに止められました。そして、スピード違反で、免許書を取りあげられてしまいました。

そんな事があった後ですが、教会の執り成しの祈りもあり、涙は次から次と溢れて、流れるのですがなぜか心の中は平安で満たされていました。
実家に着くと、おばあちゃんは布団の上に寝かされていました。
触れるとまだ、温かく顔は、とてもすこやかでした。

まるで、今にも、目を開けていつものように、優しい笑顔がみられるのではないかと思えるようでした。
おばあちゃんの最後に立ち会ったのは、一週間実家に泊まりに行っていた息子の光(小四)でした。光は、毎日病院に行って、おばあちゃんのため、お祈りをしていたそうです。主の導きに、心から感謝しました。
葬儀は、まだ救われていないお母さんの弟が、喪主だったので、他宗教の式になってしまいました。
しかし、葬儀の手配やその後の初七日の手配等は、私と従弟に任されました。その中で、私は頭が痛くなってきました。
まだ、私は喪服を持っていなかったので、借りるため、小倉に帰りました。その頃は、吐き気も激しくなり、動ける状況ではありませんでした。

しかし、お通夜の準備があるので、すぐに実家に行かなければなりませんでした。そのため、教会に行って祈ってもらおうと思いました。
必死で、車の運転をしました。教会に着くと、丁度その時、牧師が出かけるために、1階に降りて来られた所でした。
もう少し遅ければ、すれ違いになるところでした。
教会で牧師夫妻に祈っていただきました。そのとき、主が触れてくださり、激しかった頭痛が完全にいやされました。主に、本当に感謝します。

式は、主が、知恵を与えて下さり、受付をする事になりました。ですから、いろんな偶像の儀式に加わらなくてすみました。
翌日朝8時に葬儀の会場に着くと、泊まっていた親族は、家に帰っていました。そのため、お母さんと二人でした。私は、主に示されたので、会場を賛美しながら7周回り、霊の縛りをなし、主の勝利の宣言をしました。
すると、主が働いて下さり、霊的にとても、軽くなりました。
教会で、御心がなるように執り成しの祈りをして下さっていました。主の完全な守りと導きがあったことを感謝します。葬儀の間中、私は受付のため外にいました。

弔電が読まれていきました。最後に教会から下さった弔電が、読まれました。
「私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)が読まれると、娘の愛(めぐみ、3歳)が、「イエちゃま、イエちゃまよ!」と言いました。
すると、その後、空が急に曇り稲光が走り、ものすごい雷が鳴り出しました。
葬儀が終り、おばあちゃんの棺は、なんとリムジンに乗せられました。私は、神さまに感謝しました。
車が火葬場に向けて出発すると同時に、大雨が降り出しました。
火葬場で待っている間中、ものすごい雷が鳴っていました。
雷は、主からの語りかけですから、主が共におられる事を思わされました。
火葬場から、諸七日の法事のためみんなは、実家にもどりました。

私は、近くのお母さんの弟の家で、料理の準備をしていたので、その場にいませんでした。後で主人達が話してくれました。
初七日の法事をするはずのお坊さんが、時間になってもなかなか来られないので、叔父が寺に電話をかけました。すると、お坊さんが、「雷が恐くて、外に出られなかった。今から行きます。」と言われたそうです。
お坊さんが来て、お経が始まると全員が眠ってしまったそうです。お坊さんが帰られる時、「子守唄に聞こえたみたいですね。」と言って帰られたそうです。主 の完全な御支配の中で、式がなされたことを思わされています。しかし、アタック(霊的攻撃)もありました。

8月29日(火)に家庭礼拝が導かれました。主の十字架クリスチャンセンターの「白馬キャンプ」で、「賛美隊が立てられた。」と語られた後で、主の力強い御臨在があり、主の圧倒的勝利が取られました。
お母さんは、首が回らないほどすごい痛みがあり、肩痛もありましたが、家庭礼拝のとき、いやされるように祈ってもらいました。
牧師が、お母さんに「どうですか?」と聞かれると、「ちょっと楽になった。」と言いました。また、次に、祈られた時には「ずいぶん良くなった。」と言いました。
「神さまが、触れておられるのでいやされますよ。」と牧師が言われると、お母さんは、「すごく痛かったのが、楽になった。」と言っていました。
話をしているとき、牧師が「お母さん、首の痛みはどうですか?」と聞かれると「あらっ!あらっ!全然痛くないわ!あれは、なんだったのか?」とびっくりし て言いました。牧師が、「主が、いやして下さいました。主に感謝しましょう。」と言われ、みんなで、主に感謝をしました。
私も肩と頭が痛かったのですが、牧師夫妻がお母さんを祈っている時に、一緒にそばでお母さんのいやしを祈っていました。
すると、主の臨在の中で、主が触れて下さり、いやされました。

家庭礼拝の恵みは、すごいです!!
主が、おばあちゃんを、天国に凱旋させてくださり、家庭礼拝を通して、すばらしい祝福を与えてくださっている事を、心から感謝します。
また、主は、天国でおばあちゃんと、再開する喜びを与えて下さいました。そして、天国での執り成し手を与えて下さったことを感謝します。
家族親族が、リバイバルのために用いられようにお祈りしています。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」
(ヨハネ12章24節)

「主は、天から雷鳴を響かせ、いと高き方は御声を発せられた。」
( Ⅱサムエル22章14節)

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。『わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。』」
(マタイ28章18節)

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」
(聖書ローマ8章37節)

「教会はキリストのからであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」
(エペソ1章23節)

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