しかし、紅海は割れた!!

みなさん、こんにちわ。ハンナです。

今年もまた、『神のしもべ長崎教会主催』の『子どもキャンプ』が、2005年8月23日(火)~25日(木)の2泊3日の日程で行なわれました。「北九州 生ける神の教会」からは、この事をお聞きした段階では、どの家庭も行ける状況ではありませんでした。私たち牧師宅も!

ある家庭は、仕事が月末の絞めの時期で、とても休暇のお願いできる状況ではありませんでした。ある家庭は、経済がなく行けるめどがまったくたちませんでした。牧師宅も同じく、経済がありませんでした。

しかし、みんなで行けるように祈っていました。

「神のしもべ長崎教会」から、何度か「あきらめないで祈ってぜひ、来てください。私たちも祈っていますから。」と言ってくださいました。そのうち、2つの家族が行けることになりました。まったく、行けない状況なのは、牧師宅でした。

キャンプの前々日の夜中、《雲の間にある虹》(9月号)を読んでいると、「モーセはイスラエルに対して、はつきりと、『神が助けるから黙っていなさい』と 答え、モーセが手を挙げると海(紅海)は割れ、……」とありました。【紅海が割れるんだ! 神さまが紅海を割ってくださるんだ!】と思いました。しかし、 夜が明けて一日が終わっても何も起きませんでした。【教会の方だけで、キャンプに行ってもらわないと仕方がないなー。】と思いました。キャンプの前日、あ る聖会に行きました。

行きながら、牧師(主人)と共に行った方といっしょに徹底して感謝をしていきました。私は、心の中で【神さま、紅海を割っては下さらないのでしょうか?この事も、感謝します。】と祈っていました。

カリスマセミナーが終り、聖会が始まるまでの休憩時間の事でした。会場のお部屋の外にいたら、ある方がお証し読みました。感動しました。」と私の手を握 り、封筒を下さいました。私は、「えっ!」と言うと、その方は「感謝します。」とその場を去って行かれました。私は、少しの間呆然としていました。はっ と、われに返り、牧師のところに行って、お部屋の外に呼びだしました。

そして、そっと小さな声で、「紅海が割れたよ! 紅海が割れたの!」と下さった封筒を見せました。聖会が始まってから、2人とも涙が溢れてしかたがありま せんでした。神さまは、まさか・・・のかたを通して備えて下さっていました。その額は、キャンプの交通費でした。

帰り道、とてもきれいな彩雲がしばらくの間でました。神さまをほめたたえました。しかし、参加費は、私たちにはありませんでした。家に着いて、少しして チャイムがなりました。ある方が、「キャンプの費用にして下さい。今日、払わなければいけなかったものが、なぜか払わなくていい事がわかりました。神さま です!!」と笑顔いっぱいで届けて下さいました。

この時、私はある聖書の箇所を思い出していました。

それは、「喜ぶ者といっしょに喜び、・・・・・」(ローマ12:15)のみ言葉でした。

牧師と共に、心から神さまに感謝の礼拝をささげました。そして、捧げて下さった方々が、さらに神さまからの祝福が溢れるほど注がれるように祈りました。翌 朝、教会のふた家族と共に、元気にキャンプに出発する事が出来ました。神さまは、その家族の内ひと家族には、「一緒に行く。」と言われるとは思いもしな かった、「おじいちゃん」も一緒に行けるようにして、下さいました。主の備えと導きは、完全であることを、思わされています。

主の御名を賛美いたします。
「そのとき、モーセが手を海の上に差し伸ばすと、主は一晩中強い東風で海を退かせ、海を陸地とされた。それで水は分かれた。そこで、イスラエル人は海の真中のかわいた地を、進んで行った。水は彼らのために右と左で壁となった。」(出エジプト14章21~22節)

「主の山の上には備えがある。」(創世記22章14節)
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12章15節)

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