みからだの教会の祝福

感謝します。エリヤ山下です。

「主の十字架クリスチャンセンターの群れ」の「北九州生ける神の教会」に戻って、8ヶ月がたちました。

先日、娘の「ハンナ」が、「友だちの『頭痛』のために、『心の中』で祈ったら、その子の『頭痛』がなおった。」と言っていました。次の日、「別の男の子が 『おなかが痛い』と言うので『心の中』で祈ったら、『また、なおったよ。』」と言っていました。牧師に話すと、「賜物が開かれて来ています。」と言われま した。そして、「教会の管理の下で、賜物を用いることを教えなければ。」と言われました。

私は、いま、教会の早天祈祷、その他の祈祷会に出席し、各礼拝に出席し、礼拝をささげています。その中で、賜物が開かれていくのを感じています。

この教会を離れている間は、「見分け」、「吟味」が弱り果てていました。しかし、「群れの教会」に戻り、教会に属することによって、以前にもまして「見分 け」、「吟味」や「賜物」が、開かれてきているのを感じています。教会はキリストのからだであり、私もそのみからだの一部分とされたことを、心から感謝し ています。

みからだである教会の管理の下、権威と秩序に従うことによって、「やすらぎ」を得ているのです。そして、教会の守りと、恵みと祝福を体験しています。

すべての栄光を主にお返しいたします。

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものを、
いっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1:23)
「あなた方はキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(Ⅰコリント12:27)

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