子ど もたちを通して、喜びを下さった神


みなさん、こんにちわ。ハンナです。

私たちは、「広島教会」の初穂として、牧会に立てられていました。ところが、1999年6月、「急きょ北九州に行って下さい。」とオーダーがあり、まず、 イスラエル牧師が遣わされました。

私は、「広島教会」の最後の礼拝奉仕に、イエスさまと二人で、立たせていただきました。このことも、感謝しています。
それから、一週間もない日にちの中で、必死に荷造りをして北九州に遣わされて来ました。あれから、まる5年が来ようとしています。

やっと5年、もう5年、そんな思いが交錯しています。私にとっては、来た時にはとても厳しい地でした。この地での訓練、そして長崎に、毎週かよわしていた だいた3年半の訓練によって、とても強くしていただき、この北九州の地が愛すべき地となりました。

遣わされて来た時は、CS(日曜学校)の子供達は4人でしたが、すぐに二人になって、その状態がしばらく続きました。
そんな中で、毎週、毎週CSのクラスを導かれました。時には、二人の子供達がお休みしました。でも、神さまが言われているから、いてもいなくてもCSをす るように牧師からオーダーがありました。

この頃、私はまだ、人の前に立つ事はとても苦痛でした。たとえ、子供達であっても!紙芝居を用意していた時がありました。その日、二人しかいない子供達は お休みでした。大人の前で、紙芝居で顔を隠すようにして読みました。そんな事が、懐かしく思い出されました。

子供達も今では、8人になり、とてもにぎやかになりました。そして、よほどでない限り、CSをお休みしません。お休みした時は、火曜礼拝に来ます。

今、子供達はCSの奉仕体制が出来て、奉仕分担表を見て、しっかり奉仕に立つようになりました。3人のヤングチーム(小6:2人、小3:1人)が賛美リー ダーに立ち、他の子供達がいっしょに賛美の奉仕に立ちます。前は、マイクの前で、ふざけたりしていましたが、今ではしっかり賛美するようになりました。

2004年6月27日の「第一礼拝」に、小3の「光君」(佐伯ファミリー)がかけ込んで来て、「間に合ったー。」と前から2番目にすわり、すぐに、聖書を 開きました。お母さんが、「まだ、CSじゃないっちゃよ。」と言うと、「光君」は「いい。」ときりっとして、答えそこに座っていました。礼拝が始まると、 大人といっしょに立ち上がって手を上げて、身体を横に揺らしながら、大きな声で、しっかり賛美をしていました。

私は、賛美の奉仕に立たせていただいていて、その姿に感動をし、内側から喜びが泉のようにわき上がってきました。この日、私は、『賛美の奉仕に立つ事が出 来るように、御心を行わせて下さい。力を与えて下さい。』と心の中で必死に祈りながら、賛美の奉仕に立たせていただいていました。神さまは、「光君」をこ のように変えて下さり、私に喜びを下さいました。

私達が「光君」とはじめて会ったのは、「光君」が保育園に行っている時でした。この頃の「光君」は、折り紙が大好きで、集中するとよだれがダラダラ。少し も座る事が出来なくて、すぐにどこででも横になって、くらげのようになよなよしていました。話す時も、とてもスローでみんなが、最後まで聞くのが大変でし た。

今、3年生になって、「子供と大人の祈祷会」で、牧師と小6の「光輝君」、「ハンナちゃん」、小4の「真実ちゃん」、小3の「幸也君」、「光君」といっ しょに祈るようになって、とても落ち着いてきました。
そして、月に一回家庭礼拝がされるようになって、その度に「光君が変わって落ち着いてきた!」とお母さんから報告が来るようになりました。CSでも、熱心 に聞くようになりました。

神さまは、真実なお方であることを、思わされています。

主に心から、感謝いたします。

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