奇跡の出産といやし!!


みなさん、こんにちわ。ハンナです。

今日は、救われていますが、まだ、教会に来られていないAさんに成された、素晴らしい主の業をお証し致します。

この方は、今年2004年6月に出産予定でした。ある日曜日、私達夫婦が、第一礼拝、子ども礼拝、第二礼拝を終えて帰って来ると、マンションの玄関前で、 Aさんがヨチヨチ歩きを始めたばかりのお子さんを遊ばせておられました。立ち話をしていると、「お友達が出産前で逆子になり、手術が決まった!」と言われ ました。牧師が「その方のために祈りましょう!主がふれて下さいます。」と言いました。

Aさんは、「はぁ~?」と「え~っ!」と言った感じでした。でも、私達が、祈るのを聞いておられました。何日か過ぎて、『火曜礼拝』に【熊谷伝道師】が証 しの中で、「Aさんが、来られ、お友達の逆子が正常になり、普通分娩で出産された事を興奮して話していかれた。」と、興奮して喜んで証しをしました。私達 は、みんなで、神さまに感謝をささげました。一度も、お会いした事のない方の逆子が、正常になり、手術をしなくていいように祈っただけなのに、主はふれて 下さり、奇跡を成して下さいました。

Aさんは、生まれつき、腎臓が一つしかなく、その腎臓も大変な手術をされたので機能が30%しかないそうです。前回の長男さん(現在1歳)の出産の時は、 とても大変で2日間陣痛がひどくて苦しまれたそうです。ですから、6月出産なのに、何ヶ月も前に実家に帰られ、出産に備えられました。帰られる前に、無事 平安のうちに、楽にお産が出来るように、主に祈る時が導かれました。そして、毎日、教会で祈っていました。生まれた赤ちゃんが、3ヶ月たった頃、帰って来 られました。駐車場でお会いした時、「今日帰ってきました。とても楽に生まれました。」とご主人共々、喜んでおられました。

2004年11月22日(月)、【熊谷伝道師宅】の『家庭礼拝』に行くと、Aさんと二人のお子さんがおられました。【熊谷伝道師】が「祈ってもらうため に、待っておられます。時間がないので、お祈りをして下さい。」と言いました。牧師は、「一曲、賛美をしてから祈りましょう。」と【主の教会に 神の恵みと 主の愛 溢れ流れゆく♪】を賛美しました。「何を祈りましょうか?」と聞くと「う~~んと、なにもないけどー。あっ!花粉症、一年中で。」と言われました。私は、 「私と同じ!いやされますよ。」と言いました。牧師が、「妻は、10年の花粉症だったんですよ!それがいやされたんですよ。だいじょうぶ!祈りましょ う。」と言って、みんなで心を合わせて祈りました。その時は、「よくわからない!」と言っておられました。

翌日、牧師がエレベーター前で、Aさんにお会いし「花粉症はどうですか?」とお聞きしたら、「まだ、なおっていない。」と言われました。そのため、「妻が いますから、後10分したら来て下さい。祈りましょう!」と言って帰り、その事を私に話していると、Aさんが、お子さん二人と来られました。賛美を数曲し て聖書のイザヤ書53章4~5節『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめら れたのだと。しかし、彼は、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。』を開き、 牧師が説明して、【花粉症】のいやしのために祈りました。聖霊の御臨在が強く、ものすごい力がAさんに入っていきました。その後、Aさんが、「言わなかっ たけど、あの夜から【熊谷伝道師宅の家庭礼拝】この子(次男)のすごかったアトピーが治ったんです!お腹がすごかったのにきれいになったんです!!足はま だ、少しあるけど。」と靴下を脱がせて見せられました。そのために、手を置いて祈りました。そのお子さんは、【熊谷家】で祈る時、Aさんが、抱っこしてい ました。主の御臨在の中で、いやされたのです。私達は、何も知りませんでしたが、主は、ご存知でその赤ちゃんにもふれられ、いやされました。

そして、お産の時の話もされました。
「ほんとに、すごいですよ!5分で生まれて、先生もお母さんも間に合わなかった!」と。でも、実家に帰って出産までに2回逆子になって、一回は、出産間際 だったので、よっぽど電話しようかと思った。」と言われました。「ずっ~と、祈っていましたよ。でも、これからは、遠慮しないで、何かあったらすぐ、電話 してくださるか、来て下さい。」と言いました。最後に「祝福の祈りをしましょう。」と祈っていると、「あっ!いい!鼻がすっーとした。」と喜んで言われま した。また、ここでわかったことは、花粉症は小さい頃からだったそうです。

長年、苦しんで来られたのでした。主の愛と慈しみは、深いのです。

主に、心から感謝をささげます。
「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」
(イザヤ書53章4~5節)

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