主がお入用なのです

感謝します。エリヤ山下です。

5月10日、この日の早天祈祷はいつもと違っていました。教会でいつものように、賛美をし、預言が語られました。その中で、わたしは聖 霊さまに触れられ、ある感動を覚え、涙が溢れて来ました。理由は分かりませんでした。しかし、この日の早天祈祷の間中、それは続きました。わたしは自分の 涙腺がおかしくなったのかと思うほどでした。

この日は、「北九州生ける神の教会」で、「北九州カリスマ聖会」が行われることになっていました。午後5時に成ったので、「北九州カリ スマ聖会」の準備のため、家族そろって家を出ました。

会場の「北九州国際会議場」に着き、 P ・ A のセッティングをしていると、講師の牧師と牧師が来られました。突然、牧師がわたしを呼ばれ、「神様が、あなたを伝道師補に任命しなさい。と語っておられ ます。受けますか?」と、言われました。

わたしは突然のことで、戸惑いましたが、神様が言われていると思い、「従おう。」と決心し、すぐに、「お受けします。」と応えました。 聖会中、主が、講師の牧師と牧師を通して、「伝道師補」としての、按手を成してくださいました。

以前、わたしはこの北九州で、牧師として立てられていました。しかし、しばらくしてある事情で、牧師を休むことになりました。その後、 去年の9月10日から、この教会に戻り、教会で礼拝をささげるようになりました。

そして、今年、「東京アンテオケ教会」の新年礼拝で、マルコ11:1~10から「主がお入用なのです。」と語られました。その中で、イ エス様は「ろばの子」を必要とされました。この「主がお入用なのです。」のみことばは、この群れに語られており、みからだの教会にも語られていました。そ のような中、5月16日の「北九州生ける神の教会」の礼拝メッセージは、マルコ11:1~10でした。

牧師が、メッセージの中で「主がお入用なのです。」と語られた時、わたしは霊の感動を覚え、涙が溢れてきました。それは5月10日の早 天祈祷での出来事を、思わされるものでした。このとき、わたしは霊のうちに示されました。イエスさまが、わたしを必要としておられること。「ろばの子」と して呼ばれたことを。

イエス様が用いられた「ろばの子」は、「自分の弱さを知り、素直で、従順に聞き従う。」「ろばの子」でした。わたしも、教会の権威、秩 序のなかで、「ろばの子」として、主に聞き従って行きたいと思います。

主が、わたしを、「ろばの子」として、造り変えて下さっている事を、感謝します。

「向こうの村へ行きなさい。
村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。
それをほどいて、引いて来なさい。
もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。
すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」
(マルコ11章2~3節)

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