教会に行っている者と、行っていない者の祝福の違い!!
感謝します。佐伯真由です。
日曜日の『第三礼拝』から帰ったら、主人が額にバンドエイドをはって寝ていました。主人はガソリンスタンドに勤めています。バスのタイヤのパンク修理をお客さんに頼まれました。主人は、スペア―タイヤをチェーンからはずそうとして、バスの下にもぐりました。
そのとき、「チェーンがはずれて、スペア―タイヤが、顔の上に落ちてきて、額を切って血が沢山出た。」と言いました。
顔が腫れていましたが、骨にはひびが入っていませんでした。
神さまが守って下さり、これだけですんだことを感謝しました。
食事の用意をするために、冷蔵庫を開けたら、木箱に入った明太子が入っていました。バスの持ち主の社長さんが、主人が怪我をした事を聞かれました。
そのため家で作っている、特製の明太子をお見舞いに下さったそうです。
私は、明太子が大好きで、スーパーに行く度に、明太子の前でいつも買おうか、買うまいかと悩んでいました。
明太子は、私以外誰も食べないからです。だから、自分一人のために買うのはもったいないと思って、いつも買わないで帰っていました。
私が、大喜びしながら、食べている横で主人が言いました。
「自分は、痛い目にあっただけで、何の得もしていない!!」と。
主人は、明太子が嫌いです。
今、主人は『教会』から離れています。ですから、以前私は、神さまに「教会に行っている者と行っていない者の祝福の違いを見せて下さい。」と祈りました。
でも、すっかり忘れていました。主人が、「自分は、痛い目にあっただけで、何の得もしていない!!」とつぶやくのを聞きながら、その事を思い出しました。神さまは、私の小さな祈りを覚えていて下さっていました。
主人には、悪いとおもいますが、主は、真実なお方だと感謝し、おいしくご飯をいただきました。
主人も、『教会』に帰って来て、ともに神さまの祝福を沢山体験し、いかに神さまが真実な方であるかを、心から知ることができるように祈っています。
主はすべてのことを益として下さった事を、感謝します。
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって
満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8章28節)
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