主の十字架クリスチャンセンター東京アンテオケ教会

The Lord's Cross Christian Center Tokyo Antioch Church

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出産をきっかけに -神様との出会い           教会で完全な神様の守り

離婚でお悩みの方

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大晦日の夜に出産を無事終えて、次の日の早朝、授乳のために起きてまだ暗い外を見ると、病院の大きな庭は一面の雪で真っ白に覆われていました。昨日はあんなに晴れていたのに、夕べ気がつかないうちに雪が降ったのだなと思いながら、まるで別世界のような景色に見とれていました。その直後、洗面所へ行った帰りに、病院の廊下で思わぬ人に出会いました。

その人は同じ病院の妊婦教室で何度か一緒になった方でした。私より3日前に入院されて、すでに息子さんを出産されていました。とても誠実そうな方で、何度も私に話しかけてくださるのですが、私はなぜかその人と話がしたくなくて、いつも失礼な態度を取り避けていました。でもこのときは違いました。彼女と会ったのがうれしくて思わず駆け寄っていました。彼女は私の豹変振りに驚いて、でも顔には出さす、どうしたのかと聞いてくれました。

娘の父親とは出産の2日前に別れていました。子供が生まれたら結婚する予定だった相手が家を出て行ったからです。突然一人きりで出産することとなり、さすがに気が弱くなっていたのだと思います。私は自分の身の上を病院で会ったよくも知らない女性に話していました。すると彼女は私に言いました。「それは、私の主人が専門だから」

専門ってなんだろうと不思議に思っていますと、その日の午後、さっそくその方のご主人ともう一人の体の大きな男性が、彼女のところに来たついでに私のところにも挨拶に来てくださいました。話すと彼女のご主人はキリスト教会の牧師だということがわかりました。そしてご主人が「イエス・キリストはあなたの罪のために十字架にかかって死なれました。自分の罪を悔い改めて、この方を救い主として信じませんか?」と言われました。

私は何を言っているのかよくわかりませんでした。また極度の男性不信になっていて、人の言うことなど信用できないと思っていたのに、なぜかこの人の言っていることは真理に違いないと感じました。それでもクリスチャンになることは、とても大変なことに思えました。いろいろなものを捨てなければならないような気がしたのです。でもその時点の自分にとって財産といえるものは前日生まれた子供だけ、順調だった仕事も辞め、出産を反対されて家族からも見捨てられていた自分にイエス・キリストを信じて失うものは何もないと、思い切ってイエスさまを信じました。また牧師が導いてくださった祈りの中で、本当に自分は罪人だということは深くわかりましたので、悔い改めに躊躇はありませんでした。

7日たって病院を退院する日になり、私は子供を抱え、迎えの車を待っていました。しかし約束の時間になっても車は姿を現わしません。私はしかたがなく、病院の廊下を行ったり、来たりしていました。そのとき廊下の壁に小さな箱がかかっているのを見つけました。それは難病や障害を持って生まれた子供たちを支援するための募金箱でした。それを見ているうちになんだかその箱に1,000円を入れなくてはいけないような気がしてきたのです。

娘は黄疸(両親の血液不適合により発症)をともなって生まれたため、出産後すぐの3日間、小児科に入院していました。退院するときは子供にまだ保険資格がなくて全額支払いとなったため、そのときの私の全財産は5,000円だったのです。そのため私にとっての1,000円は大金であり、募金はなかなか決断のつかないことでした。しかし私は喜びにあふれていたので、最終的にはその募金箱に1,000円札を入れたのです。

このような境遇で喜びにあふれているのはおかしなことですが、本当に心から感謝の思いでいっぱいでした。出産前、私はつわりがひどかったため仕事を辞めざるをえず、当時学生だった相手も家を出て、一緒に大学の近くに引越しをしました。相手は学生で経済的には厳しく、またつわりのせいでほとんど満足に食事ができない状態でした。不安定な関係ですからお互いに思いやることもできず、お腹にいる子供には大変な思いをさせたと思います。子供が生まれてくる直前まで、精神的にも肉体的にも良くない状況が続いたので、その影響でもしかしたらどこかに障害をもって生まれてくるかもしれない、でも生まれてきたら絶対大切に育てようと決心していました。

しかし生まれてきた子供は信じられないくらい健康な、かなり離れた洗面所にまで大きな泣き声が聞こえてきて、同じ病室の産婦さんから「ほらあなたの赤ちゃんが呼んでいるわよ」と言われるくらい元気な赤ん坊だったのです。私はそれを見て、本当に奇跡だと思いました。なにか目に見えない力が働いてこの子供を守ってくださったとしか思えないと感じました。どなただかわからないけれど私の子供を守ってくださった方がおられる、そのことに感謝の思いでいっぱいだったので、私も自分ができることをしたいという思いになったのです。

神様と人々の愛に支えられて

結局3時間遅れた迎えの車に乗って、アパートに帰ると近所の方々がお祝いにかけつけてくれました。その中にイエスさまを教えてくださった牧師も来ておられました。そして帰り際に電気敷き毛布と現金の入った封筒をお祝いだと言って置いていかれました。封筒の中身を見てびっくりしてしまいました。なんとその中には140,000円が入っていたのです。私はあわてて牧師の奥さんである友人に電話をかけて、理由を尋ねました。すると彼女は「それは神さまがそうしなさいと言われたことだから、安心して使ってください」と答えてくれました。しかしそれでも私は信用できず、封筒のお金には手をつけることができませんでした。

出産して1ヵ月後、教会から迎えの車が来てくれました。ほとんど同時期に出産した牧師の奥さんと一緒に赤ん坊を抱いて、教会に初めて行くことになりました。そして教会で初めてメッセージというものを聞きました。

メッセージの中で、牧師は「Aさんが退院をする朝、神さまが給料の1か月分をAさんに献金するように言われた。しかし自分のところにも子供が生まれたばかりで、給料を全額献金してしまったら、自分たちの生活はどうなると思って心配になった。それで妻に相談して、妻から断ってもらおうと考えたら、妻は『神さまが言っていることに従ったほうがいい』と答えたので、しかたがなく給料の一部で電気敷き毛布を購入し、それと一緒に残りのお金を全額献金してきた。するとすぐに捧げた何倍もの祝福が与えられて自分たちの生活も守られた。神さまは生きて働いておられる」ということを語られました。

それを聞いて、私は本当に神が生きて働いておられることをはっきりと知りました。この神さまが私の子供をお腹の中で守り、それだけでなく私たちの生活さえも牧師の献金をとおして守もろうとされたことがわかりました。神さまが私の家族だけを祝福されて、牧師のご家族を守ってくださらなかったらきっと神を信じることはできなかったと思います。しかし神さまは、神さまに従って給料全額を捧げてくださった牧師とそのご家族を祝福し、ご自身の栄光を現わされました。

また私にもご自身に従うかと試されたのだと思いました。私が主の促しに従って1,000円を捧げたときに、その何倍もの祝福を与えてくださいました。また牧師が後にメッセージで語られましたが、神は「家族でパトモスに遣わす」「わたしはあなたにパトモス派遣のために、十分の一を先に捧げさせた」と言われて、最終的に牧師が私に捧げてくださった金額の十倍以上の祝福を牧師に与えられました。そして牧師とご家族は、その年の夏のパトモス派遣に家族全員で参加されました。

何年も経って牧師の奥さんと話をしているときに「あなたがたのおかげでクリスチャンになれました」とお礼を言うと、それはちがうと彼女は答えました。実は息子さんの本来の出産予定日は、1ヵ月後だったそうです。それが急に出産ということになったのは、彼が、私たちが救われるための道備えをしたからだということでした。バプテスマのヨハネの名をもった息子さんは、お腹の中から神に従っていました。また本当に急な出産だったため、奥さんの体は準備ができておらず、傷が残ってしまってそれから何年も辛い病院通いをすることになったのですが、彼女は一度も私を責めませんでした。

出産前に神さまは何度もあの人に声をかけるようにと、奥さんに言われたそうです。しかし私が避けていたので、私を怖いと思っていたそうでした。それでもめげずに声をかけ続けてくださっていたので、病院で再会したとき、私は迷わず彼女に近づくことができました。

試練を乗り越えて-神に従う祝福

娘の父親が彼女の父親であることは事実なので、本人が娘に会いたいと言ってきたら、会わすつもりでしたが、生まれてから一度も会いにきたことはありません。しかし天の父である神さまは、いつも娘のそばにいてくださいます。

体は人一倍丈夫に生まれてきたのですが、発達障害という病気をもっているらしいことが高校生になってからわかりました。まだ病院に行っていないので、正確なことはわからないのですが、小さい頃からのいくつかのできごとを検証してみますと、ADHDという病気の症例にぴったり当てはまります。

しかし娘には言いづらく、神さまにどうしたらよいのかと祈りました。すると祈った直後、娘のほうから突然、自分は病気なのかなと言ってきました。それで祈って見つけた精神科の医者で娘と同じ病気を持った方が書かれたHPを見るように言うことができました。娘もさっそく見て、自分と同じだと驚いていました。

私は娘が病気だとは考えてもおらず、少し変わった子供なのだと思っていました。自分の興味のあることはものすごい集中力で行ないますが、興味のないことは聞いても忘れてしまいます。実際、家の鍵を何度もかけ忘れたり、落としたりするので、このままでは自分の命まで落としてきてしまうよと何度か注意をしてきました。

小さい頃はうっかり者ですんでいましたが、だんだん大きくなってくると、実害が出てきます。私も余裕がなくなって、ひどい言葉で娘を叱責することが多くなりました。娘が傷ついていることがわかっても、自分も傷ついているときは思いやることができず、ますます彼女を追い詰めていきました。

しかし私も精神科の方が書かれたHPを見て、娘が病気の可能性があるということを理解できました。だから娘が悪いわけではないということがやっとわかって「あなたのせいではない」と娘に言うことができました。また私たちにはより頼むことができる神さまがおられます。後で聞いたら、娘も自分の状態に耐え切れなくなり、神さまになんとかしてくださいと祈っていたということでした。

娘は自分の状況を理解し、神さまにいやしを求めて祈りました。この病気の人は他の人の気持ちを把握することが難しく、他の人と一緒に同じ作業をすることに苦手意識をもっています。しかし今では、娘は教会でチームで奉仕をし、バイト先でもよき仲間に恵まれて、楽しく仕事をしています。またあれほど嫌がっていた勉強も、主の憐れみによって進学できたことで、自主的に勉強を行なうことができるようになりました。

娘は一度病院に行って、きちんと検査を受けると言っています。きっとかつては病気だったのが、今は神さまによっていやされていることが判明するのではないかと楽しみにしています。

私たち親子は教会で完全な神さまの守りを受けてここまでやってくることができました。確かに教会にはイエスさまのみ力と祝福が満ちあふれています。

「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです」

(エペソ1・22-23)


God is Love.