The Light of Eternal Agape 東京アンテオケ教会

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人生の大失敗から(離婚)から真の救い、献身へ〜神様に従う祝福

離婚でお悩みの方

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22歳で洗礼、24歳で結婚
私は妻と二人の子供がおり、日々神様の恵みをいただいています。しかし、私は過去に一度離婚を経験しています。それは私の人生にとっては大きな失敗でした。私は22歳のときに以前通っていた教会で洗礼を受けクリスチャンになりました。そして、教会で知り合った女性と24歳のときに結婚しました。

家庭不和そして離婚へ

みんなから祝福され順調な結婚のはずでした。ところが少しずつ歯車が狂い始めました。結婚して1年経った頃、相手のぜん息が悪化したことで環境を変えることになり、義理の両親と同居することになりました。

しかし、義母は私たちが毎週日曜日に教会に行くことを快く思っておらず、不機嫌になりその度に母娘喧嘩が耐えませんでした。それは当然のごとく私にも飛び火し、日曜日の夜は家庭が暗い雰囲気で満ちていました。

何カ月もそのような状況が続き、みな疲れ果ててしまいました。私は、「教会に行くたびにこのようになるなら、もう行かない」と決断し、教会に行くことをやめてしまったのです。

それから、できる限り良い夫、良い息子になろうと努めました。でも、いざこざが止むことはありませんでした。結束の固い三人家族の中に私が入ってきたというアレルギー反応が一つの原因でもあったのです。

そして、義父がつい口にしてしまったのでしょうが、「今度何かあったら離婚してもらう」と言ったのです。一家を治める義父としては耐え難いことだったのだと思います。その言葉で私の心の何かがガラガラと崩れました。自分の努力は結局むなしかったのです。それからの日々は、表面はとりつくろっても、心は抜け殻のようだったと記憶しています。

そんなある時、夫婦の関係を立て直すために、夫婦で独立した生活に戻ろうと提案しました。しかし、反対を受け、事態を打開するために私だけが出て別居しました。その後もお互いに解決を求めて何度か話し合いを持ちましたが、最後は「あなたとは結婚生活を続けることはできない、両親との生活を選ぶ。」と切り出され、離婚しました。

神に立ち返る

まったく一人になり、将来に対する不安と、神様から離れ、離婚までした罪の意識で押しつぶされそうになり、もがいていた私に一人の友人が電話で励ましてくれました。その時贈ってくれたみことばが「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13章5節)というこことばでした。

「この決して」の部分は言語では、繰り返して「決して決して」と言っていると説明してくれました。このみことばを聞いた時に心に光が当てられたようでした。すでに私は苦しみの中で自分の人生に神様が必要であることを悟っていました。しかし、こんな私を神様は怒っておられるに違いないと思い込んでいたのです。それは間違いでした。いつも神様は私のそばを離れずいてくださったことに気づきました。

神に従う決心
それからすぐ次の日曜の朝、教会を探して行きました。遅れて入ったのでメッセージの内容は忘れましたが、席についた途端「よく戻ってきたね」と言われたような気がして、涙があふれて止まりませんでした。正直、それまでキリストの十字架が今ひとつわかりませんでした。しかし、離婚を通して自分が本当に罪人であること知り、私のためにキリストが十字架にかかって身代わりとなったということがはっきりわかりました。そして、神様の愛がどれほど深いものかを体験したのです。その時から、神様に従う人生を歩む決心しました。

神のことばに従って復縁へ
ある時、第一コリント7章10~15節のみことばが心に引っかかりました。それは、離婚してはいけないというものでした。自分では終わったものと思っていましたが、どうにも気になりましたので、牧師に相談しました。すると牧師は「もしあなたが、神様に従うなら、この通りにすることをお勧めします。」と言いました。つまり復縁する方向を示されたのです。

一瞬悪夢がよみがえってきました。「そんなことはできっこない。またあの生活に戻るなど・・・」しかし、その次の瞬間には「もし全能の神様なら、復縁したとしても、守ってくださる。同じようにならない。」という思いが与えられ復縁の努力をすることを牧師に約束しました。

「もしあなたが、神様に従った結果、相手が復縁を望まないならば、15節にあるように、新たな道を開かれるでしょう。」と牧師は付け加えました。それから、相手に手紙を書きました。牧師に間に入っていただきやりとりもしました。数ヶ月が経ち電話が来ました。

かなり戸惑っている様子でしたが、これまでの経緯を話すと理解してくれました。しかし、すでに月日が経ち新たな道を歩き始めたので復縁は無理だと言われました。私たちは、互いにこれまでの事柄の謝罪と感謝を述べ、これまでになく穏やかに会話し、電話を切りました。その時になすべきことを果たした平安が訪れました。

離婚は罪です。しかし、神様はこの離婚という失敗を通して罪を示し、私が立ち返るように導いてくださったのです。あの虚しくなり、教会からも離れ、祈ることもできなかった時期に、モーセがイスラエルの民をエジプトから連れ出すところが心に浮かび、いつかきっとこの状況から神様が連れ出してくださるという思いが不思議にもいつもあったことを思い出しました。神様は私たちがどのような状況にあっても見捨てることなく、時が来たら助け出される真実なお方です。

新たな道へ 献身者としての歩み

私の人生は一度あの離婚で終わったと思います。一度は終わった人生を神様が拾ってくださったのだから神様に生涯仕えて行こうと決心し、献身の道に導かれました。その数年後、神様は恵みによって新たな人生を歩む伴侶を与えてくださいました。

リバイバルの召しをともに受け献身者として仕え、後に主の十字架クリスチャンセンターに導かれて仕えさせていただく恵みに預かっています。最悪と思える人生でも、神様に従う時に、それを益としてくださいます。

証しをご覧になっていかがだったでしょうか。離婚は家庭を崩壊させ、人々の関係も、心にも大きなダメージを与えてしまう悲しい出来事です。しかし、神様はこのような離婚問題にも救いの手を差し伸べておられます。問題に直面した人々は、様々な方法で神様の助けを受け、人生を回復しました。

もし、この証しを読まれたあなたが、同様な問題を抱えているなら、神様に信頼してください。ここに解決があります。そのために教会にいらしてください。それが解決の一歩となります。                                                                                ヨセフ三本松牧師

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God is Love.