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180度変えられた夫―喧嘩するはずが救われて

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180度変えられた夫―喧嘩するはずが救われて
森 敬子

がんこで気難しい夫

私たちが結婚したのは、1985年ですが、夫はとても気が短く、短気な性格でした。自分の思うように事が進まないとすぐに怒り出す、それも誰でもかまわず、かみつくのです。長男が生まれて、まだ間もない頃、勤め先の上司と喧嘩(けんか)して会社を辞めてくるという状態でした。それからも、新しく勤めた会社で、自分の思うようにいかないと上司と喧嘩して何度も職場を転々とするという状態が続きました。

救い

次男が生まれて半年頃、私の親友が近くに住んでいたこともあって、毎日のように遊びに来ていましたが、そのうち、その親友が神さまの話しをするようになりました。
その親友とは小学校からずっと一緒で、バレーボールも一緒にやっていましたので、良く知っていましたが、急にイエスさまのことを語り出したのでびっくりしました。なぜなら、私たちは高校の時、仏教高校に行っていたからでした。
彼女の口から「イエス・キリストは私たちの罪の身代わりとなって十字架にかけられ、死なれ、三日目によみがえられた」と言われてもピンときませんでした。しかし、毎日のように喜んで私たち夫婦にイエスさまのことを伝えに来ました。喜んで変わって行く彼女を見て、何かあると思いました。
しかし、主人は頭ごなしに、彼女に向かって「この宗教ボケ!! もう二度と家に来るな!!」と怒鳴りました。 それでも彼女は、主人の言葉にめげることなく、毎日のようにイエスさまのことを伝えに来ました。
私は、イエスさまを信じたいという気持ちはありましたが、主人に内緒で信仰を持つことは出来ませんでした。
それで、友人と一緒に、1回でいいから牧師さんと会って欲しいとお願いしました。主人は思ったよりすぐにそのことを受け入れてくれました。実は、主人はこの時とばかり、牧師に会ってコテンパンにやっつけてやろうと思っていたのです。
1989年1月に、牧師さんが長崎から熊本へ来られるというので、夕方6時に主人と待ち合わせをして一緒に行く予定でしたが、なかなか自宅に帰って来ません。9時ごろ、私たちがしびれを切らして先に行っているだろうと思って帰って来ました。パチンコに行って時間をつぶしていたようですが、私たちが待っていたので、一緒に行くことになりました。
案の定、牧師に会うなり、開口一番「神がいるならここに見せてみろ」から始まりました。しかし、話していくうちに、喧嘩腰(けんかごし)だった主人の態度に変化が起こり、気づくと自分のつらかった時の話などを初めて会った牧師さんに打ちあけ、最後には泣きながら罪を悔い改め、私たちは一緒に信仰告白をして救われました。

教会生活のスタート

それからは、一緒に救われたということもあって、集会や教会に、私と2人の子どもたちは1度も休むことなく通い続けました。しかし、主人は……?と言えば、私と2人の子どもが行っているのでしょうがなく迎えに行かなければならないという理由から、礼拝の終わる5分位前に入ってきて、1番すみの所に座るという状態でした。なので、教会出席率は良く、休むことはありませんでした。
ある時の聖会で、夫婦で祈ってもらった時、預言で「あなたがたの5年後を見ておきなさい」と語られました。まだまだ、救われはしたものの、教会にしっかりつながっていない夫でしたが、そのことを救いに導いてくださった牧師さんに聞いてみたところ「森さん、5年後に牧師になっているんじゃないの?」と言われました。とてもびっくりしましたが、神さまの言葉として信仰をもって受け取りました。

献身へ

それからしばらくして、教会でアメリカにチームが出ることになり、私は次男を連れてチームに参加することにしました。3週間ほどのチームでしたが、チャーチオンザウェイ教会での祈り込みや、カンファランスでの交わりの時などがあり、ドクター・ユウという方との食事会もありました。
その時にドクター・ユウから「あなたのご主人は何をしているのですか?」と聞かれました。実際の目で見たら信仰もしっかりしてないし、教会にも遅れて来るし、と思いましたが、「今はサラリーマンですが、将来は牧師になります」と言いました。後で、これは神さまに語らされた信仰の告白だなーと思いました。
しかし、同じころ日本でも、神さまが主人に直接聖書のマタイの福音書16章18節「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」のみ言葉が与えられました。
それから主人は、牧師になる召しをいただき、神さまに従うようになりました。そこから主人と私の信仰が逆転しました。
その次の年から地方でも神学校が始まり、夫婦で学ぶようになりました。神さまに仕えるのに、子どもがいるからとか、妊娠しているからとか、仕事があるからと、理由にならないと思い、とれる授業はすべてとって学びました。
日曜日から土曜日まで毎日、朝の早天祈祷から帰って朝食と弁当を作って、子どもと主人を送り出し、午前中から神学校や祈祷会などに行ってから、仕事に行き、夕方1回家にもどって夕ごはんをお弁当箱につめて、夜、子どもたちを連れて神学校に行くという毎日でした。よく友人に「家に電話しても絶対いない」と有名になるほどでした。
そうこうして月日はたち、あの預言のことばが語られて5年目に主人は牧師となり、私たち夫婦は佐世保教会へと遣わされました。

聞き従いの恵み
佐世保から三重へ

佐世保教会に遣わされて、色々な祝福と訓練がありました。子どもも4人与えられ、5人目がお腹の中にいて、あと少しで臨月に入るころの事でした。4月初め、三重教会の牧師として移動が語られました。
私としては佐世保で5人目の赤ちゃんを産むつもりでしたし、急に移動と言われても……と思いましたが、祈り、神さまに聞くと「行きなさい」と言われるのです。すぐに産婦人科の先生に相談したところ、「予定日はゴールデンウィーク頃だし、行くんだったら明日にでもすぐに行きなさい」と言われました。
荷物も他の子どもたちも後から来ることにして、私と4番目の子だけ先に三重に行くことにしました。その時、「奥さんだけでは心配だから森さんもついて行ってください」と主人の分の電車代を九州の長老が献金してくださいました。
佐世保を出て、福岡から新幹線に乗り換え、山口、広島とトンネルを通るたびにお腹が張ってきて、陣痛が来始めました。岡山、神戸とガマンしていましたが、とうとうガマン出来ず、名古屋まで行けず、新大阪で下りてしまいました。それから救急車に乗って陣痛をガマンして何軒もの病院を断わられ、大阪の平野にある病院で出産しました。
次の日、窓の外から聞きなれない関西弁が聞こえて、なんで神さまにすぐ従ったのに、私はこんな知らない土地でひとりで出産して寝ているのだろうと思ったら涙が止まりませんでした。
1日中泣いて目が腫れあがり、やっとそれから神さまに祈り、みことばを開きました。
ヨハネの福音書14章1節~3節「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。……わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」と語られ、すごく慰められました。それから神さまは、こんな私にもみわざを現されると思いました。
次の日、2人部屋でしたが、新しい人が出産のため入院して来られました。その部屋は長細い部屋で、頭と頭をつきあわすようなベッドでしたが、その中で、神さまのことを伝え、私が退院する時、信仰告白をして救われました。その方は、クリスチャンの学校に行っていたのですが、神さまのことはよく知らなかったらしく、私が、神さまに従ったときに、この方と出会わせくださり、救いへと導かれたと思いました。
それから三重では約1年2カ月の間に70人以上の方々が救われ、多くの祝福を現してくださいました。もし、あの時、すぐに私が従わなかったら、これらの救いや、もしかしたら、夫の召しまでも奪っていたかもしれません。

180度変わった主人

私たちが牧師になると言って神学校に行って学んでいる時、私の両親と主人の両親は団結して「子どもたちもまだ小さいのに、何をうわついた事を考えているんだ。もっと地に足をつけて考えろ!」とものすごく迫害されましたし、私の母は「森くんは、何でも熱しやすく、冷めやすいので、すぐにやめてしまう」と断言していました。もちろん、今までの主人を見ているので当然そう思えたのでしょう。
救われた当時、主人が熱中していたのが、パチンコ・マージャン・ゴルフでした。相当の浪費家でした。我が家の家計も火の車でした。幸い、私の実家が食堂を経営していたので食べるのには困りませんでしたが、その主人を見て、いきなり牧師になるとか言い出したので無理もないかもしれませんが。
両親の反対を押し切り、神学校の学びを続け、信仰の歩みを続けました。その中で、主人が変わって行く姿を見て、両親たちは、このキリスト教には何かがあると思い、自分も祝福を受けたいと思うようになりました。
そして、7年前、私の母が主人を通して救われました。主人の父も約3年前に救われました。あれほど牧師になることを反対し、迫害していた両親たちが、今では、息子が牧師をしていることを、とてもうれしく思っており、自慢のようです。
180度、主人の性格と生活を変えてくださった神さまに心から感謝します。

(月刊「雲の間にある虹」2009年9月号(発行:雲の間にある虹出版)より転載)

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