The Light of Eternal Agape 東京アンテオケ教会

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険悪な関係だった父との和解

親子関係でお悩みの方

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あなたの家、あなたの家族のところに帰り、
主があなたに、どんな大きなことをしてくださったか、
どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。
(マルコ5章19節)

あなたの家族のところに帰りなさい―アメリカから日本へ

私が生まれ育ったのは、福岡県の筑豊地方、人口2万人の静かな町で、海外のことに興味をもつ材料など、ほとんどない環境でしたが、なぜか海外への思いがずっと心の中にありました。

私は将来、海外で生活する、と心に決めていました。夢がかなってアメリカに留学しましたが、わず3年後に、当初の決意をひるがえして日本に帰ってきたのは、神様から「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい」と言われたからでした。

大学院卒業の1年前のイースター(復活祭)の日に、イエス・キリストを信じてクリスチャンになっていた私は、クリスチャンの友人たちに、「私が卒業したら、神様は私にどうしてほしいと思っておられるのか、わかるように祈ってて」と頼み、自分でも祈っていました。卒業が間近にせまったある日、日本にいる母と電話で話していたときに、なぜか口がすべって、「卒業したら、日本に帰って2~3年いるつもり」と、心にもないことを言ってしまったのです。

電話を切った後に、「どうしてあんなことを言ったんだろう」という思いと同時に、心の中に静かな平安があることに気づきました。「自分で考えてもなかったことなのに平安があるのは、神様が『そうだ』と言っておられるのかな」と思い、ほんとうに神様がそう言われているのかどうか、祈ってみることにしました。数日後、聖書を読んでいるときに、「あっ」と思いました。

あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんな大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。 (マルコ5章19節)

この言葉を読んだ瞬間、まさに電気が流れたように、「これが私の祈りに対する神様の答えだ」と強く感じたのです。それから、しばらく祈りましたが、信じられないことに、心の中の葛藤はまったくなく(帰国後にやってきましたが)、かえって確信がますます強くなっていきました。神様に守られていたとしか考えられません。それで、帰国の準備をすすめ、卒業式の2週間後にアメリカを後にしました。

電話帳にも載っていない教会への導かれ方

日本に帰って来て最初にしたことは、教会を探すことでした。大好きなアメリカの教会を離れて、帰国するとき、「神様の言われるとおりに日本に帰りますから、私が行くべき教会はここだ、と私がわかるようにしてください」と祈っていました。私が真剣に教会を探しているのを知って、すぐ下の妹が、「自分の受け持っているクラスにクリスチャンの男の子がいる」と教えてくれました。

「電話帳で探しても、どれも神様が示しておられるようには思えないし、行ってみようとした教会にも、いろいろあってなかなか行き着けない。これ以外にもこの近くに教会があるんだったら、行って見てくるだけでも」と思って、8月のある日曜日、その男の子とご両親が行っておられる教会の礼拝に行きました。

その日は、公民館が借りられず、その男の子の自宅のお座敷での礼拝でした。アメリカの教会とのギャップはありましたが、他の日本の教会には行ったことがなく、アメリカの教会で歌っていた賛美の曲を日本語に訳して歌っていたのが、なんとなくほっとする感じで、「ここが神様の導いておられる教会かな」と思いました。

祈って神様に聞いていく中で、平安が増し加えられていき、「この教会が祈りの答えだ」という確信が与えられました。その教会は、牧師の方が約1年半前に東京から来られて、教会をスタートさせたばかりだったので、まだ電話帳にも載っていなかったのです。日本に帰ってくる前から祈ってきた祈りの答えとして、神様は、看板も出ていない、電話帳にもまだ載っていない、私が自力で探そうとしても探すことのできない教会に、クリスチャンではない私の妹をとおして導いてくださったのでした。

不可能と思っていた父との和解

帰国するまで、まったく葛藤はなかったのですが、それは帰国してからやってきました。当時、私と父との関係はとても険悪でした。たぶん、私の方からの一方的なものだったのだと思いますが、顔を合わせて話をすることはおろか、電話でもまともに話ができないような状態でした。

すぐ下の妹は、アメリカでクリスチャンになって帰ってきた姉が、いまだに父親と火花を散らしているのを見て心を痛め、私に内緒で、「うちの姉はどうにかなりませんか」と、牧師のところに相談に行っていたというのです。そのとき、牧師は、「時があります」と言われたのですが、妹にはそれがどういう意味なのか、よくわからなかったそうです。

しかし、私が帰国して3年半後に、その「時」が来ました。断食祈祷に行った韓国で、両親に頭を下げて謝ることを神様に語られた私は、帰国したその晩に、両親の前で頭を下げ、「聖書には、『両親を敬え』と書かれているのに、私はほんとうに両親を敬っていない悪い娘でした。ごめんなさい」と謝ったのです。

目に見えて何かが起こったというわけではありませんでしたが、胸につかえていた何かが完全に消えてなくなったかのように、何のわだかまりもなく、父とはふつうに話ができるようになりました。

その後しばらく経ってから、すぐ下の妹に、私が頭を下げて謝ったことを話したとき、妹は、「姉ちゃんがお父さんに頭を下げるなんて信じられない、それは姉ちゃんじゃない。(それをやったのは)神様だ」と言いました。そして、牧師に相談しに行ったことを話してくれたので、「3年半もかかったね」と言うと、妹の返事は「3年半しか、かからなかった」でした。

父と私が仲直りするのは「一生」無理だと思っていたそうです。それが、「たった3年半」で、ほんとうに仲直りができたのです。神様は私たちが不可能と思っていることを、可能にしてくださる方です。

妹の救い

私には三人の妹がいて、すぐ下の妹は2歳下、あとの二人は八歳下の双子の妹です。私は家族の救いのために、ずっと祈り続けていましたが、その祈りの答えはなかなか見ることができませんでした。2004年の3月に、一番下の妹が救われましたが、私がアメリカでクリスチャンになってから12年目のことでした。

実は、その数週間前に感謝の祈りを祈っていたとき、「家族がまだ救われていないことを感謝していますか」と神様からの語りかけを受けました。「えっ、そんなことを感謝?」と思いましたが、実際に感謝したことがなかったので、まだ家族が救われていないことを感謝し始めると、そのことも神様の手の中にある、という平安が与えられ、喜びで満たされていったのです。

まさに、家族がまだ救われていないことを感謝したら、妹が救われたのでした。そして、その2カ月後の5月には、下から二番目の妹も救われました。

津波から守られた妹

5月に救われたその妹が、同年の12月にタイに旅行に行きました。妹の友人が、「26日は、あまり観光地化されていない静かできれいなビーチがあるから、そこに行こう」と提案したそうです。妹はプーケットに行きたいと思っていたのですが、いつも教会で言われている「すべてのことを感謝する」ことを思い出して、友人が別のビーチに行きたがっていることを感謝して、「じゃあ、そっ ちに行こう」ということになったそうです。その日一日、のんびりビーチで過ごして、バンコクに帰ってきてテレビをつけると、ニュースに映し出されていたのは、

スマトラ沖地震のすさまじい被害状況でした。それを見た妹は、「今日、プーケットに行っていたら、たいへんなことになっていた」と思い、数日間は震えが止まらなかったそうです。妹の帰国後に、「プーケットに行きたかったけど行き先を変えた」という話を聞いたときには、教会で教えられている聖書の言葉が、妹の命を守ってくれたことを心から感謝しました。

すべてのことについて、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(Ⅰテサロニケ5章18節)

父の白内障の手術

2005年の4月、父が旅行の帰りに、鳥取に寄ってくれました。話の中で、父の白内障がかなり進んでいるということを知りました。手術すればよくなるかもしれないが、万が一のことを考えると踏み切れない、ということでした。それで、「白内障のいやしのために、両目に手を置いて祈ってもいい?」と聞くと、「いい」と言ってくれたので、「白内障がいやされるように。もし、手術を通していやされるのなら、みこころのよいお医者さんに手術してもらえるように。お医者さんを通しても主が働いてくださって、手術が成功して、完全によくなるように」と祈りました。

その場では、いやしは起きませんでしたが、数週間後に母から電話がありました。その日の朝、父が眼科に行き、白内障の手術の予約をして帰ってきたというのです。

もっと驚いたのは、父が、「どうやって決断できたのか自分でもわからない」と言ったことでした。その日の朝、目が覚めたときに、「よし、今日、眼科に行って手術の日を決めてこよう」 と思ったそうです。

手術は片眼ずつ行うことになり、1回目の手術が無事に終わった後は、すっかり安心しきっていました。2回目の手術の日に、母から電話があり、「今日の午後1時から、2回目の手術だから祈っておいて」と言われて思い出し、手術のために祈りました。手術の時間が長引き、母もずいぶん心配したそうですが、手術は無事に終わりました。手術中に血圧が上がったため、手術を一時中断したということでしたが、完全に守られ、術後の感染症もなく、父はすっきりした視界を得ることができました。

あの時、母の電話がなかったら、私は安心しきって祈りを忘れていたかもしれません。また、いやしの祈りを通しても、神様は、父が手術を受ける決断をするのを助けてくださったと思います。 祈りは聞かれるということ、祈りを通して神様がはたらかれると知っているということは、ほんとうにすばらしい恵みだと思います。

再び海外へ

「あなたの家族のところに帰りなさい」と神様に示されて、1993年6月に日本に帰国してから、15年になります。その間に、神様は私と私の家族に、ここには書ききれないほどたくさんの恵み と祝福を与えてくださいました。しかし、アメリカで示されていた宣教師の働きが開かれる兆しはまったく見えず、私は神様に忘れ去られてしまったのかとまで思わされました。

しかし、語られた神様の言葉は真実でした。神様の時が来たときに、神様の言葉が成就したのです。11月には宣教師として、ブラジルに遣わされます。海外で神様の働きをなす時がついにやってきたのです。一度は完全にすべてを投げ出してしまった私でしたが、神様のあわれみによって、神様の約束を握りなおして立ち上がる力が与えられ、ここまで導かれてきました。これからが本番だ、ということを強く感じています。すべての栄光を神様にお返しします。

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。
必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。(イザヤ55章11節)

べテル森原

»月刊「雲の間にある虹」(発行:雲の間にある虹出版)2008年12月号より転載

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