The Light of Eternal Agape 東京アンテオケ教会

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家出を繰り返す夫。しかし、離れなかった約束のことば

夫婦関係にお悩みの方

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女性は結婚する相手によって大きく人生が変わるものです。男性も同じことが言えますが。私も例外ではありませんでした。私は25歳で救われクリスチャンと なりました。同じ時期に、中学時代クラスメートだった夫と10年ぶりで再会し結婚しました。夫はレクレェーションだけ参加する不熱心な創価学会員でした。 そのせいか、私が教会に行くことにあまり反対せず、お酒を飲みながら「信仰をもつことは良い事だ!」というほどでした。

逃げる夫、引き止める妻 私は天国、あなたは地獄?

女性は結婚する相手によって大きく人生が変わるものです。男性も同じことが言えますが。私も例外ではありませんでした。私は25歳で救われクリスチャンとなりました。同じ時期に、中学時代クラスメートだった夫と10年ぶりで再会し結婚しました。夫はレクレェーションだけ参加する不熱心な創価学会員でした。そのせいか、私が教会に行くことにあまり反対せず、お酒を飲みながら「信仰をもつことは良い事だ!」というほどでした。

そんな夫をクリスチャンにしようとあの手この手で努力しました。ある時はセンセーショナルな救いを体験した牧師さんに会わせたり、教会の映画会に連れて行ったり、信仰書を読ませたりしました。しかし、すればするほど夫はそっぽを向くばかりでした。新婚さんなのに会話といえば「私は天国に行けるけれど、あなたは地獄よ!」と言うと、「おれは地獄の1丁目でマージャンしとるわ!」が常でした。

牧師さんにも「ご主人が救われるのは奇跡に近いですね。」とまで言われてしまうほどでした。しかし、教会の人達や牧師さんは夫の救いのために忍耐強く祈り続けて下さいました。しかし、そっぽを向いてる夫ですが、日曜日になると教会に送ってくれました。教会から100メートル離れたところで私は下ろされてしまいますが。

仮死状態で生まれた長男

ところが、そんな夫が教会に一歩近づく出来事が起こりました。それは、長男の出産を通してのことでした。お産は非常に難産でした。息子は首にへその緒が3重に巻きつけられていたために無理やり引っ張り出すという有様でした。そのために鎖骨と肋骨が骨折し、仮死状態で生まれて来ました。

チアノーゼが出て全身蒼白でした。すぐにICUの保育器に運ばれ治療しましたが、肺に入った羊水を出すことは非常に困難でした。そして、「手は尽くしました。後はお子さんの生命力次第ですが、今晩が山場です。死か生きたとしても植物人間です。」と医者に言われ、夫は頭が真っ白になったそうです。

私は何も知らされずにいたのですが、泣かない息子を見た時ただ事ではないと思っていましたから、すぐに教会に電話をして助かるようにとのお祈りをお願いしました。教会の人達は徹夜で連鎖祈祷してくださいました。私自身も必死で悔い改め、「息子に命を与えてください。」と祈り続けました。

翌日になって、バタバタと騒々しく看護婦さんが病室に入ってきました。「お子さんは助かりました。保育器のシーツがびっしょり濡れていて、肺に入っていた羊水は全部出ていました。良かったですね!」と興奮しながら話してくれました。私はうれしさのあまり看護婦さんの手を握り「神様、本当にありがとうございました。」と言って抱きあって泣きました。

退院する時が来ました。私は医者に「息子が助かったのは奇跡ですか?」と聞きました。「奇跡というのは言えませんが奇跡的です。」と言ってくれました。私は心から神様に感謝しました。そして帰り際に医者が言った言葉がとても印象的でした。「息子さんは何か生きる使命があるのでしょうね。」

夫の救い

すべてのことを益としてくださるというみことばがありますが、息子の難産は夫を教会に近づけるきっかけとなりました。出産後は教会の玄関まで送ってくれるようになり、教会の人達とも話をするようになりました。

息子の誕生から4カ月がたち、夫は接骨院を開きました。順調に患者さんも来るようになったある日、いつもハイテンションな夫が暗い表情で「宣教師の所に連れて行ってくれ。」と言いました。急に不安になったそうです。その夜、夫はイエス様を信じました。あれほどかたくなだったのに……。

やはり人の力でなく聖霊が働かないと人は信じないことがよくわかりました。しかし、聖霊が働いたのはやはり祈りでした。

男性が信仰をもつと先に救われた奥さんを追い越し成長すると聞いていましたから、用心していましたが、その通りになりました。礼拝、祈祷会は絶対休まず、教会で一人で早天祈祷はするは、患者さんを100人送って下さいと祈るはで、私はてんてこまいでした。神様はそんな夫の祈りを聞いて下さり、県でトップクラスの接骨院となりました。

その勢いで、直球型の性格の夫は患者さんの治療中もガンガン伝道し、家では同居している父にお酒をつぎながら「イエス・キリストを信じろ! 何で信じないんだ!」と半ば脅迫めいた伝道を毎晩していました。しかし、父が信仰をもったのは夫の脅迫めいた言葉ではなく、3歳の息子の食前の祈りを見て「こんな小さい子供でも神様に感謝している。私は恥ずかしい。教会に連れて行ってくれ。」と言って、イエス様を信じ救われました。それから、夫の伝道もますます盛んになり、次々と家族や友人が救われました。

息子が生まれてから3年たった時に夫がおたふく風邪にかかったので二人目の子供はあきらめていました。しかし、その年の教会のクリスマスで頂いたプレゼントは女の子用の物ばかりでした。翌年、娘が生まれ「めぐみ」と名付けました。

東京へ

1984年の8月に娘が誕生しましたが、その年の2月に夫が「神様が東京に行きなさいと何度も語られるのだが、どうする?」と聞いてきました。私はすぐに賛成したのですが、現状はすぐに行ける状況ではありませんでした。妊娠3カ月で年寄りの父もいる状態でしたから10年後かなと考えていました。

しかし、それは人の考えで神様は違っていました。娘の出産予定日は9月2日でしたが2週間早く生まれました。その予定日の9月2日は入院していた父が退院する日でしたが、突然天に召されました。その時驚いたことがもう一つありました。接骨院を新築したので近所に本とタオルを持ってあいさつまわりに行きました。

父が死ぬとは思ってもなかったのですが、どういう訳か持って行った本は、「聖書」と「キリスト教の葬儀について」でした。これには私も夫も大変驚きました。近所の人達も「手回しがいいねぇ」と、その本をしっかり読んで葬儀に参列してくれました。業者の都合で治療室にはベッド等がまだ入っていなかったので、そこで葬儀をすることが出来、大伝道集会となりました。人の力ではこのようにパズルがピタッピタッと収まるようには出来ません。神様の導きは完全です。

いよいよ東京行きを真剣に祈り始めました。ただで東京へ行くのはもったいないと言う夫の勧めで指圧学校に行くことにしました。この時にも神様の不思議を見ました。学校の受験日を知らずに夫は下見に行くために飛行機のチケットを買いましたが、なんとその日が受験日でした。私は驚いたと同時に受かったと確信しました。神様に何一つ無駄は無い。

うつ病のいやし

私達家族は友人にあきれられ、惜しまれながら東京に出発しました。最初に埼玉県川口市に住み、私は都内の指圧専門学校、息子は幼稚園、娘は保育園に、夫は自宅で開業し、慣れない土地でそれぞれがスタートしました。

知り合いもいない土地での開業は厳しく、夫はつぶやきの毎日が続き、とうとううつ病になってしまいました。教会(福音派)の牧師さんは温泉でリラックスするようにと気遣って下さるのですが、夫の目はうつろです。私が学校から帰った時には夫は死んでいるのではと思い、神様に「主人を死なせないで下さい」と祈りつつ大急ぎで帰る毎日でした。私は、息子を死から救ってくださったのだから、きっと夫の心も癒して下さると信じ祈り続けました。

神様は真実なお方です。夫はテレビから語られるヘブル人への手紙13:8「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」というみことばで、うつ病から解放されました。後になってこれは悪霊によるものだとわかりました。まさにみ言葉は剣だと思える経験です。
うつ病から解放された夫は東京都中野区で就職が決まり、住まいも近くに引越しました。しかし、そこもつかの間で、娘が入園できる立川市に引っ越しました。横田基地の近くに住み、周りが創価学会員だらけでしたが、2匹の魚と5つのパンをマークにした看板を掲げ、接骨院を開きました。看板を見て、ここは魚屋? パン屋? と首をひねる人もいました。

そして、そこでも神様は祝福してくださり、多くの患者さんが来るようになりました。基地の学校の先生やパイロットやチャプレン等が治療に来るようになり英会話のレッスンができました。知り合ったチャプレンと教会を始める事になり、我が家が礼拝場所となりました。多い時は50人くらい集まり、国際色豊かな礼拝でした。

ある時チャプレンが預言者を連れ、店にやって来ました。祈祷会が始まりその預言者は夫に「あなたは1年後にこの店を止めます。」と言いました。夫は笑いながら、「そんな事は考えてもない。」と否定しました。しかし、1年後その通りになりました。私は中学生の頃からアメリカに行くのが夢だったので、私達はアメリカに行く方向になったのです。そのころ、主の十字架クリスチャンセンター国分寺教会に行くようになり、片足だけ入れている状態でした。両足を入れたのは、チャプレンから半ば強制的に献命式を受けさせられた時からでした。

人間をとる漁師にしよう

アメリカ行きの準備は着々と進み、店も買い手がつき、主人は安心して何度も牧師から勧められていた海外宣教の第1回フィリピン山岳チームに参加する事にしました。初めての海外が電気も水道もないところとは……と夫は言っていましたが、私は自衛隊出身の夫にはピッタリなので、行け行けと勧めました。

ところが、行く時はしぶしぶだった夫は、現地では水を得た魚のようだったそうです。それだけでなく、夫の人生を大きく変える出来事が起きました。神様から「あなたを人を取る漁師にしよう」と召しを受けました。夫は「私は牧師になるような者ではありません。学歴も無い、話すことも苦手ですから結構です」と言うと「そのままでついて来なさい」と言われ、「本当に神様の声なら、しるしを見せてください」と祈ったところ、夫の祈りを通して多くの人が集会で倒れ、いやしも起きたそうです。

とどめられたアメリカ行き

それから、そのことがらが薄れてきた頃、ビザ申請のためアメリカ大使館に行きました。費用も十分ある、受け入れ先もある、英語学校も手続きしてる、これで大丈夫と自信満々でした。ところが、ビザはおりませんでした。3回トライしましたがダメでした。怒り心頭で外務省にまで電話をしました。私はショックで3日間食事ができませんでした。店も無くし、小学校と保育園は子供のためにお別れ会までしてくれ、家族からは餞別までもらい、教会の人達には、はりきって行って来ます、と言った手前、ここにはいられないので故郷に帰ることにしました。

ところが、友人宅でのお別れ会で見た「十戒」を通してとどまることが示され、またその夜に私は、アメリカに行っては帰らされ、故郷に行っては帰らされるという夢を見ました。夫は神様に「妻に夢で示したから聞きなさい。」と言われて、故郷には帰らず国分寺に引っ越すことになりました。

2カ月たって、私と4歳の娘は教会からのアメリカチームに参加し、入れなかったアメリカに行くことができました。そこで私はインナヒーリングを受けアメリカを満喫し、ルンルンで帰国しました。楽しかった事を話すと夫は悔しがり、「今からアメリカに行って来る」と言って一人で出掛けて行きました。思い立ったらすぐ行動する人なのでどうしようもありません。英語が大嫌いだったはずなのに無料の英語学校に行き、友人も作りのんびりと楽しい日々を過ごしていたようです。

1カ月がたち、アメリカにいる夫から子供を連れてアメリカに来るようにと言われました。どうやら私にマッサージの店を譲りたいという話があり、アパートも借りていたようです。私はそれを聞いたとき、やっと夢がかなうと思い、喜んで牧師にアメリカ行きを話しましたが、みことばは来ましたか? と言われ、必死でみことばを求めました。みことばはなかなか来ないは、夫から催促されるはで、パニック状態でした。そして、ついにみことばが与えられました。

イザヤ書33:6でした。喜んでその個所を開けました。「主を恐れることが、その財宝である。」ええっ! 行くなという事? またまたショックでしたが、アメリカチームに参加してから神に聞き従う決心をしていたのであきらめることにしました。

夫に言う言葉を考えながらその夜電話をかけました。すると、夫を預かってくれている人が「ああ~大丈夫、今朝、神様が博君(夫の名前)を帰国させなさいと言われたのでチケットを買いましたよ」と言いました。プレイズ・ザ・ロード! 夫は残念がりながら帰国してきました。

家出を繰り返す夫

夫は自分の思う通りにいかないことにいらつき始め、礼拝が終わるとさっさと家に帰っていました。私と子供たちは1日中教会にいて楽しく過ごしていました。

ある時、「もう、やってられない!」と言って家を出て行きました。最初の家出です。お金もないので3日ぐらいで帰ってくるだろうと思っていました。中学の時からそうでしたからあまり動揺はしませんでした。夫は北海道の友人を訪ねようとしたのですがお金がないのであきらめ、祈祷院に行ったところ、大伝道集会のまっさい中で、そこでも「あなたは牧師に導かれている」と言われたそうです。3日たって帰って来ました。また、しばらく家にいましたが、2度目の家出がありました。やはり3日で帰って来ました。

3度目の家出は本気でした。故郷に帰り、借金をして接骨院を開きました。夫が家を出た時、雨が降っていましたが、庭に山鳩が飛んで来て、空にはきれいな虹が出ていました。夫が家を出る時に、慣れもありまったく平安でした。虹を見て神様が勝利を表して下さったと確信しました。

夫がいる時は徹夜祈祷会に行けなかったのですが、自由に行けるようになり、雨が降っても風が吹いても雪が降っても、子供達と毎週参加しました。神様は私の思いをご存知で、毎回夫に関しての預言が与えられ、夫から電話がかかってくる度に「今、こういう状況でしょ?」と言うと「何でわかるんだ」と言うので「預言で出てた」と言っていました。あまりにも当たっていたので、夫はだんだん怖くなったそうです。そんな夫は病気かなと思い、牧師に聞いたところ「ご主人は本来の仕事についてないのでぐるぐる回っているだけです。本来の仕事につけば落ち着きますよ。」と言ってくださいました。

神の計画を選んで帰る

そして、半年が過ぎました。夫から最後の通達が来ましたが、私はひるまず言いました。「妻は夫に従えだからあなたに従って帰りますが、2度と故郷からは出ません!」夫はそれはまずいと思い、必死で祈ったところ神様が言われました。「わたしが財産である。あなたが自分の計画を選んでもわたしはあなたを祝福する。

しかし、わたしが与える計画はそれとはくらべものにならないほどのものである。」夫は損得に関しては非常に敏感なので、すぐ帰る準備をしました。そして、神様に3つ不可能なお願いをしましたが、3つともきかれ、完全に観念して夜逃げ同然で東京に向かいました。

夫は静岡付近で電話をかけてきました。その直後に預言者が家に来るという電話があり、夫が玄関を開けるとそこには預言者が待っているという状況でした。夫はその状況にア然としていましたが、預言者のことばにうなずいていました。「わたしはあなたの妻の祈りを聞いた。わたしを愛しなさい。わたしはあなたを愛している。」

人間をとる漁師に

それから夫はまじめになり、イスラエルチームに参加し、預言者の奉仕に立たされました。借金も返した1992年2月頃、もう一度チャレンジが来ました。夜中に夫が何かぶつぶつ言っているので目が覚め、聞いてみると「世話になった。先に天国に行く。」絶対言わないような事を言っているので冗談だと思い、「どうぞ!」と言いました。ところが、冗談でなく夫は臨死体験のような体験の中、神様とお話をしていたようです。気持ちがいいからこのまま天国にいたい。「神様、天に私の報いはありますか?」神様は言いました。

「Nothing(無い)」なぜ英語なのかわかりませんが。夫は永遠にポチの家では困ると思い、「帰してください」と言うと元の状態になったそうです。そして、5月に牧師になることが導かれて、7月に最初の赴任先の福岡県飯塚市で「人をとる漁師」がスタートしました。

7年間という長いヨナ時代でしたが、逃げる夫によって私は強い信仰を持つ事ができ、生きて働かれる神様を数多く体験する事ができ幸せでした。「夫は引こう引こうとするがただひとり引き止める事のできる者がいる。それは妻である。」と神様は語ってくださいました。

アン漆間姉

»月刊「雲の間にある虹」(発行:雲の間にある虹出版) 2007年6月号より転載

しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。(ヨハネの福音書16章20節)

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ人への手紙5章5節)

God is Love.