おはようございます
自分を自分で縛ってきて、自分で自分を清め
ようとする作業は間違っているということ
。
今になって気がついた。
私は過去の傷がいやされずに、〜だから私は
このように生きていこうと、縛ってきた。
同じ失敗はしなくないと、間違わないように
と自分を律して生きてきたのではないかと
、今になって気づいて……言葉が出なかっ
た。
どっか、そのようにすることで安心してたよ
うな……そのような間違った思い込みで生き
てきた。
でも、神様の愛はそんな小さな愛じゃない。
神は人が人を自分で律して生きていくこと
を望んでおられない。そんなことは出来んか
ら、神様は私達に望んでないんちゃ。
それは人の働く領域じゃなく、神の霊、聖霊
がなされる作業だからです。
そもそも、人がそんなに立派やろうか。
全然、そんなことない。
なのに、まるで自分が立派かのように生きる
とか、アホくさ。
神の前で、心からの悔い改めが真実に成され
とったら、それは許されとる。
それがクリスチャンの特権。
神は何度も何度も人の罪を引き合いに出し
、神が自分をどっか脅迫しとるような神の
イメージがあるならそれは間違っとる。
それは真の神の愛とは違ったもの。
私の中で、それが大きくあったことを思わさ
れた。
今の教会に導かれて今年で、丁度20年。
他教会にいた頃、全然わかってなかったこと
。
神の愛や、イエスが十字架で死なれて、3日後
に復活された意味も、神に聞き従うことで人
が生きる最善の道があると言うことも……沢
山、学んできた。
しかし、私は、許しの神、大きな神の愛を
その愛も十分知ってきたつもりやったけ
ど……実はそれを深く、わかってなかった。
これに気付かされたことは大きい。
体験として、今、知ったんちゃ。
今になったとしても、本当に気づいて良かっ
た。
これは教会の恵みです。
本当の意味で、真実に神に全てをゆだねて、
生きていけるように、助けを求め、祈った
。
人の限界を早く知ること、人は立派じゃない
ことを早く知ったもん勝ちやん。
色んな余計なものから解放されて、神が歩め
と言われる道を安心して生きていけたら
それが最高やん。
この何週間、色々思わされ、気付かされてき
たそのことを書いてみた。
いかにも、自分が自分を律して、それがあた
かも成功しているように、立派に生き
てるように見せるのは滑稽です。
自分の出来ないことは、徹底して神に求める
こと。これが私達が諦めずにしなきゃならな
いこと。
更に 主のされる業を見ていきたい。
神に感謝。