The Light of Eternal Agape 東京アンテオケ教会

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本当の人生の始まり

自殺を考えている方

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十数年前のこと、私は人生最大の苦しみを経験しました。それは、人を愛することのできなかった私の心に、愛する気持ちを目覚めさせてくれた人との別れでした。 それまでの私は誰からも愛されていると感じたことはありませんでした。 その当時、教会へは行っていましたが、礼拝だけで、人と交わることもなく、あとから思えば、神に愛されていること、ゆるされていることが、実感できていなかったと思います。

彼も私もまだ精神的に幼く、相手を思いやることができない部分もあり、私はいろんなことが切なく、ある時、つい「別れようか」と言ってしまったのです。彼は何も言わず、それっきりになりました。その直後から、苦しみで心がいっぱいになりました。彼を失った悲しみと後悔、自分ではどうすることもできない、どうしていいのかわからないという思い、でも、一方では、これは、神の御心、付き合っていたことが御心ではなかったのだから、自分の蒔いた種、この苦しみは刈り取りなのだと考える思いもありました。一人暮らしの私は、ただ、部屋でジーとしているだけでした。

何も手につかず、テレビもうるさく感じて見ることができず、何かで紛らすこともできませんでした。 時間がとても長く感じられました。その長い長い時間を、なかなか進まない時計を見ながら過ごすことしかできませんでした。何日か経って、気分を変えようという気持ちになり、外に出て見ました。でも、見えるものは、ベールで覆われたよう。

現実感がなく、私は、本当に生きているのか、宙に浮いているかのような感覚でした。時間の経過とともに、跳ね返そうという気力が出てきました。職場に復帰し、一見人には元気そうに映っていたかも知れません。

今までは、自分から人に話かけることはほとんどしなかった私ですが、一人でいられないという気持ちから、人に話かけるようになり、人の優しさに慰められていました。でも、それだけでは満たされませんでした。家に帰っても一人でいられず、悪い友達を作り遊ぶようになりました。ただ遊ぶだけの友達、今の気持ちを話さなくていい遊び仲間が欲しかったのです。

しばらくの間は楽しんでいました。でも、自分のしたくないことをしていることに疲れてしまい、精神力もなくなっていき、働くこともできなくなってしまいました。働けなくなったら、生活していけないのです。死ぬしかない。死のうと決めました。でも、死のうとしましたが死ねませんでした。私は、決して神を忘れてはいませんでした。

ふと、鏡を覗いた時、「わたしのもとに来よ」というかすかな神の語りかけを感じました。涙が流れました。 しかし、その声を振り切って、私はもうまともに生きていけない。いいかげんに生きていくことならできると、以前の遊びに戻ったのです。 やけになって、とことん遊びました。そして、心身共に疲れ果て、ボロボロになりました。そして、心の中で強く思いました。

もう、こんな虚しい人生は嫌だと。意味のある生き方をしたいと。神に心が向いていました。一冊の本を手に取り、ページをめくっていると、目に留まった言葉がありました。「神はあなたを愛しておられる」。力が与えられた感じがしました。また、主は聖書のみことばを思い出させて下さいました。

だから、わたしは「この女の多くの罪は赦されている」と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。 ルカの福音書7章47節

弱い私を受け止め、いつも見守っていて下さる神の深い愛に気づくことができました。人を愛せるように変えて下さり、さらに神を愛せるようにして下さったことを心から感謝しています。ハレルヤ!

函館教会 斎藤輝き

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God is Love.