こんにちは☀️
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お盆も過ぎました。
8月の半分も過ぎました。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
例えば…祈っても、祈っても祈りはかなえられず思うように進展しませんが、その中に大きな主の御心があるんだと言うことを知ります。
聖書に……
“たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。
神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。”
詩篇 51篇16~17節
通らなくちゃならない辛い経験など、私も沢山通りました。
失敗しないで、自分の出来のなさがわかるでしょうか。
自分に失望することが出来るでしょうか。
主の前に、徹底してヘリくだらされ、弱くされることはとても大切な経験でした。
しかし、逆にそのような砕かれた心は賛美する時に、低いところから主を見上げるその心こそ、主が私達に求められる礼拝者の心だと思われます。
失敗はしたくないものですが、あえてそこを通られせる神の愛は大き過ぎて、人には理解出来ないかも知れません。
苦しみの中で捧げられる賛美には力があり、真の礼拝となるのではと、思うのです。
いつの時も神に期待し、前に進んでいきたい。
後になってその意味もきっと教えてくれます。
それぞれに、神が通らせる道があります。