ローマ人への手紙 10章13節〜14節、17節

牧師 南孝明



主のみ名を賛美します。
 おはようございます。今週は「救い」について語っていきたいと思います。みことばの箇所はローマ人への手紙10章13節〜14節と飛んで17節であります。早速、みことばに入っていきたいと思います。13節に「主のみ名を呼び求める者はだれでも救われる。」と書いてあります。 それでは、主のみ名を呼び求める者とはどういう人のことでしょうか。イエスキリストの十字架を信じてキリストの名を呼び求める人たちのことです。信じ、キリストの名を呼び求めるには、このキリストを知らなければいけません。イエスキリストはどういうお方なのでしょうか。イエスキリストは私たちの罪のために私たちの罪全部を引き受けられて、私たちを罪なき者としてくださって、十字架にかかり死んでくださり、そして、三日目によみがえられたお方なのです。このことを信じ受け入れるのです。
 14節に「しかし、信じたことのない方をどうして呼び求めることができるでしょう・・・」とあります。ここに問題があると思います。まず、イエスキリストがどういうお方であるのかということを知る必要があります。



 みなさん、この日本にはなかなか福音が入りません。なぜでしょうか。この後のみことばにも書いてありますが、「聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくては、どうして聞くことができるでしょう。」とあります。つまり日本人の多くの方が、イエスキリストの十字架の救いを聞いたことがないのです。宣べ伝える人があまりにも少なかったのです。
  私は中学校の時、当時の中間テストや定期テストのとき、テストの日の朝早く勉強している中、ラジオ番組の中で福音を初めて耳にしたのを覚えています。そして、成人となって、ある病にかかり、妻が入院中に持ってきてくれた聖書を通してイエスキリストを知りました。今では完全にいやされて神の働きを担っています。この救いの恵みを私は今語ろうとしているのです。
 そして17節「そのように信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストについてのみことばによるのです。」みことばは聖書のことばであり、神のことばです。ですから私たちは聖書に書いてあるみことばから語っていくのです。

TLCCC神の聖所の柱 佐賀教会 牧師 南 孝明

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