
1973年救われる。74年受洗。81年結婚。98年佐賀教会へ。
趣味 インターネットを見ること、賛美すること。
■主人の入院 ― 不安と恐れの中で 二人の男性看護士に両脇を組まれながら前を行く主人。時々不安そうに振り返る主人。 立ち止まった私の前に非情にもギギッと音をきしませながら閉鎖病棟のドアが閉められた。向こう側に消えていった主人をもう、二度と取り戻すことができないのではないかという不安と恐れが一気に込み上げてきて立ち尽くしてしまいました。主人の職場の上司の方々に 「さあ、奥さん帰りましょう!」 と促されてその場を去りました。 しかし、不安そうに最後まで私を見つめていた主人の姿が目に焼きついて、私の心は激しく痛んでいました。上司の方々の慰めの言葉も励ましの言葉も耳に入らなかったのです。11カ月になったばかりの長男の存在だけがその時の私を支えていました。家に入るとこらえていた涙が滝のように流れ、大声で泣いていました。私にとって最大の暗黒の時間だったのです。泣きながらどうやって死のうかと考えていたのだから…。 1時間くらいも泣いて、少し気持ちが落ち着いたころ長男が 「ああちゃん!」 と声をかけてきました。彼があの時、唯一話せる言葉だったのです。泣きもしないで私を心配そうに覗き込んでいました。そんな、子供を見て思ったのです。この子を残して死ねない! まして、この子を道連れにはできない! ■神様、生ける力をください 私は、23歳の時にイエス様を神様と信じ救われました。神学校には行っていませんでしたが、救われた教会で、献身者として奉仕していました。聖霊体験を受けたことがきっかけとなってその教会を出てしまい、教会に行かなくなって7年が過ぎていました。実は死のうと思ったのはその時が初めてではなかったのです。教会に行かなくなって生きる気力も失い、早く死にたいと思っていました。その思いは結婚しても収まらず、「人は何のために生きているの……?」 とか 「一緒に死のう!」 とか言って主人を困らせていました。 そんな時、まだノンクリスチャンだった主人がいつも言っていたのは、「人はせっかく生まれてきたのだから生きていかなきゃだめだ。」「生きていけばきっといい事がある」 でした。 穏やかで、優しかった主人に対して何の不満もなく、生まれたばかりの長男の育児はかえって喜びですらあったのです。にもかかわらず、どうしようもない虚しさが襲ってくるのです。 ある日、またも死にたいと思う思いが沸々と心にわき上がってきたときのことです。私はこんな風だから、いつ死ぬかもしれない。だから、この子のことを神様にお願いしておこうと思い、祈り始めました。神様、どうか、この子だけはお救いください。そして、この子をあなたが育ててください。教会で育ててください。 一生懸命に祈っているうちに私の心が変えられ、いつの間にか 「この子にも、母親が必要です。どうか、この子が20歳になるまで育てさせてください。私に生きる力をください。」 と、イエス様にみ名によって父なる神様に祈っていました。 それから1カ月後のことだったのです。主人が当直で一緒に勤務についた方が自分の目の前で発病し精神科に入院されたのは…。独身の時二度ノイローゼのために入院したことがあった主人は、自分も発病するのではないかと恐れ、当直期間中に眠れなくなり、恐れから本当にノイローゼになってしまたのです。精神の病としては軽いほうだったのでしょうが、当時の私には乗り越えることの出来ない大きな岩山に感じたのです。 ■再び神様の元へ 本当に生きる気力を失ってしまい、それでも、長男のために生きていかなければと思ったその時、イエス様 が私に聖書の御言葉を示してくださったのです。ルカの福音書5章11節〜24節の箇所でした。そして、私は、放蕩息子が悔い改めて父の元に帰ったように、私も天の神様の元に帰りたい、イエス様の元に帰りたいと思って悔い改めの祈りをしていきました。 「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。」(ルカ15:21) 今までのことをひとつひとつ思い起こして自分の罪を認め、神様に素直に謝っていきました。悔い改めが終わった頃には日がすっかり暮れてしまい暗くなっていきましたが、私の心は逆に明るく、すごく明るくなっていきました。イエス様の元に帰れた喜びは今も忘れることがありません。 主人との面会が許されるようになってから、真っ先に聖書を持っていきました。主人も喜んで受け取ってくれ、「読むから」 と言ってくれました。精神的には不安定であることは会話の端々でわかるのですが、もう、私の心には恐れが微塵もありませんでした。例えこのまま主人が退院できなかったとしても私は主人と生涯を添い遂げようと心に誓っていました。イエス様と一緒に生きていけるのです。イエス様が私を花嫁(教会はキリストの花嫁であり私たちクリスチャンひとりひとりがキリストの花嫁です)と言ってくださったのです。何も、怖いものはなかったのです。 しかし、教会に行くことには躊躇していました。私を教会は受け入れてくださるだろうか? 私はまたも、教会をかき乱すと言われてしまうのではないでしょうか? ■代わりに教会へ行ってくれ そんなある日、イエス様は主人の言葉を通して教会に行くように押し出してくださいました。面会に行くと、主人は、最近は聖書を読んでいるし、祈っていると言いました。何を祈っているのと聞くと、「早く退院して自分も教会に行けるように」 と祈っていると言いました。そして、私は主人に 「自分は今、行きたくても行けないから、お前が私の代わりに教会に行って神様を礼拝してくれないか」 と言われたのです。 私は飛び上がるほど嬉しくなって、主人の病院に一番近い教会を探しに行きました。初めて訪ねた私の話をじーっと聞いてくださった牧師さんが最後にこうおっしゃいました。 「神様があの放蕩息子のように貴女を受け入れてくださったのですね」 と…。放蕩息子の箇所から悔い改めたことは話していませんでしたから、牧師さんのその言葉に主人の導きを感じました。そして、その教会に行くようになり、また、保育園をしておられたので、園児たちのためのおやつ作りを手伝いに行くようになりました。電車を乗り継いで片道1時間半かかりましたが、楽しい時期でもありました。そして、この事1984年4月からその保育園で保母助手として奉仕する備えとなっていきました。 ■主人の退院、救い 主人は入院して2カ月めぐらいから外出できるようになり、 私がおやつ作りを手伝っている保育園にも顔を見せるようになりました。教会の方々も暖かく主人を迎えてくださっていました。3カ月たった頃から、外泊も許されるようになってきました。そして、主人が病院に戻る時には主人の生活態度についてのチェックと感想を書いたものを提出するようになっていきました。最初はどのように書いていいのかわからないままに、できなかったことについて書いていましたが、神様に祈ってから書くことにしました。 どんなことについて書いたらよいか教えてくださいと祈っていると、主が言われたのです。以前できていて今、できていないことについて書くのではなく、今、出来ていること、今日よかったと思えることについて書いていきなさいと。その通りにすると、外泊が1日だったのが3日になり、4日になり、ついに退院ということになりました。 職場は4カ月までは休職できますが、それ以上になると退職しなければならなかったそうです。私は知りませんでしたが、主が知恵を与え、4カ月を越さないように導いてくださったのだと思います。退院して最初の日曜日、主人は神様を礼拝していきました。そして、教会で主を礼拝するようになって1カ月目にイエス様を神様、自分の救い主として信じ救われました。そして、1年後には洗礼も受けました。 ■主人に奉仕を与えてください。 しかし、精神安定剤、睡眠薬を服用していた主人は礼拝中でも眠ってしまっていました。教会にはいろんな奉仕がありました。主人も何か主人のために奉仕をしたいと思うようになっていましたが、まだ、タバコもお酒も薬(精神安定剤等)も服用していた主人にはなかなか奉仕のチャンスがめぐってきませんでした。 そんな時、私に 「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:27)と 「神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」(マタイ3:9b) の御言葉をもって私にチャンレンジしてこられました。それから、主人のために毎日、祈りました。主人に何か奉仕を与えてください。主人は石ころよりずっと、ずっとーましです。比べものにはなりません。イエス様が主人の罪のために死んでくださり、3日目によみがえってくださったのです。神様の目には高価で尊いものです。どうか、主人に何か奉仕を与えてください。玄関の靴そろえの奉仕でも喜んですると言っています。どうか主人に奉仕を与えてください。 自分のことは神学校に行きたいと真剣に祈り始めていました。なかなか、私が求めている神学校が見つからないまま数年が経過していきました。主人も奉仕を依頼されることもなく、酒、タバコ、薬をやめることもできずにいました。 ■神学校への導き 子供の幼稚園関係で知り合った方のなかに、主の十字架の方がおられました。今度カリスマ聖会があってA牧師さんが来られるのできてみませんか? と誘われました。A牧師さんのことは、当時通っていた教会の牧師さんから聞いてお名前は知っている方でした。牧師さんが、「(A牧師は)M誌に連載されているので本を買って読んだらいいですよ。」 とも、「今度、貴女が教会を変わるように神様が導かれた時には、この教会に行かれたらいいですね。」 ともおっしゃっていた方のことでした。 しかし、私達にとってこの教会を変わるなんてことは、まったく考えられないことでした。小学校の低学年になっていた息子にとっては、朝、教会に行ったら、夕飯を牧師宅でご馳走になってもまだ帰りがたい所だったからです。私にとっても、いろんな奉仕があって一週間が早く、喜んで奉仕をさせていただいていたからです。ただ、主人だけは礼拝が終わって食事をすると何もすることがなくなり家に帰っていました。まだ、わが家の権威が逆で、秩序が定まっていなかったのです。 神様は、そんな私にあわれみのみ手をもってカリスマ聖会に2回ほど導いてくださいました。2回目のカリスマ聖会に行ったときに、神学校がスタートして半年が経っていることを知りました。ああ、神様がここの神学校に導いておられる。ぜひ、この神学校で学びたいという思いが湧き上がってきました。それは、神学校の授業の在り方と学びの内容が今まで求め祈っていた形態そのものだったからです。主人と所属している教会の牧師さんの了解を得て、神学校に入学することになりました。 ■転 会 主婦&神学生として忙しくなりましたが、とても充実していました。半年くらいたったころから、主が、度々、私が祈っている時に、聖書を読んでいる時に示してこられることばがありました。「教会を転会しなさい。」と。けれども、私のとらえちがい、気の迷い、と頭の隅に置いていました。しかし、もし本当に、神様が語っておられるのなら神様に従いたいとも思いました。それで、一週間断食して主に御心を求め聞いてみました。 「あなたは…出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12章1節) と御言葉で示してくださいました。それで主の十字架神学校のN牧師にご相談したところ、「ご主人は何と言われていますか?」と逆に聞かれてしまいました。ふたつ返事でOKしてくださると思っていましたが、「ご主人と所属教会の牧師さんの許可が必要です。」 と言われてしまいました。それで、祈って主人に話すと主の十字架クリスチャンセンター福岡教会に家族で転会しようと言ってくれました。また、それまで所属していた教会の牧師さんにも教会の方々にも温かく送り出していただくことができました。 ■家族でイスラエルへ 海外宣教を学んでいた私は、1994年の4月、朝のデボーションでイスラエルに行きなさいと示されました。家族3人で加わって行きなさいと示されました。そのことを主人に告げると、行けるように一緒に祈ろうと言ってくれました。翌朝から、主人も息子も早天をするようになりました。そのなかで、家族3人でイスラエルに行けますようにと真剣に祈りました。ほとんど不可能に思えていた主人の職場での休暇願いが受理され、私たちはイスラエルに足を踏み入れました。 ガリラヤ湖畔のペテロの召命教会のある場所で祈っていると主が語ってこられました。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マタイ4:19) この時、はっきりとわかったことがありました。主人が中心であることが…。私と子供は主人について行くのだと。こんなことは初めて言われたことでした。神様からも、人からも…。教会で 「南さん」 と呼ばれれば、たいていは私のことだったのです。しかし、主は今、はっきり語ってくださったのです。私は思わずも主に聞き返しました。「どうやってですか?」すると、主はこの御言葉を与えてくださいました。 「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。」 と万軍の主は仰せられる。 (ゼカリヤ4:6) 主人はイスラエルから帰ってくると自分から神学校に行き始めたのです。そればかりか、あんなに難しかった薬(精神安定剤)、酒、タバコも、主の助けによって次々とやめることができたのです。 あれから13年が経ちました。 |