神は小さき者の願いをかなえられる

頭部の静脈瘤、膝の激痛の中、導かれた派遣

 私は十数回のイスラエル派遣の中で、今回は徹底して自分に死ぬ事から始まった派遣でした。
私はこの五月に頭部MRIの検査、頭に静脈瘤が二つ、つまり二カ所血管が細くなって血の流れがスムーズに流れないという状態になっていたのです。ドクターからは血液がさらさら流れるように薬探しが始まりました。でも、私は薬のアレルギーがあり、どの薬も私には合いませんでした。それで、私の選んだ決断は、薬を飲まないで、脳溢血、脳梗塞等々の危険を踏まえた上で、行ける所まで行く、ですから最悪の場合は、すべての延命処置はお断りするとドクターにはお願いしておりました。
しかし、二カ月ごとの検診に私の電子カルテを見るたびに、大きな文字で「緊急の場合、延命処置ない」の文字を見るにつけ、私の心は決して穏やかではありませんでした。神様にいやしを求めて、イスラエルに行こう、そう決めたのです。
ところが、十月中旬に突然足の膝に激痛が走り、一歩も歩く事も這う事も出来ない状態になりました。整形に運ばれて行き、絶対安静入院レベルだけど、薬が使えないから家で安静に、でもこの膝は手術しないとダメだと見離されました。私は締めないで近くの整骨院に通い、治療を受けながら、しつこく十一月五日出発のイスラエルに行けるでしょうかと聞きました。先生は、「あと何日ある」、「あと三日」とか言っていましたが、しまいに「あなたは行くのでしょう!」私は、「はい」でした。それでは今まで歩けていたというプライドを捨てて下さい。空港の中もすべて車椅子です。飛行機の座席はすべて通路側、いつも足を動かして下さい。それが先生との約束でした。なぜなら長時間のフライトは関節が固まってしまうからです。それともう一つ、膝の下の脛(すね)の所に静脈瘤が出て来たのです。歩くと、本人にとって蜂の巣をつついたような痛みが走りました。それで、イスラエルで手術になってもいいようにと保険を上乗せしてとの事でしたが、歩けないのです。
出発の日も迫って来、キャンセル出来ない中で、私にも恐れがありました。しかし、行かなければもっと悪くなるのではないかと、とりあえず大阪の伊丹まで、伊丹まで行けたら羽田までと思い、大阪行きのバスに乗せてもらいました。バスに乗って暫くすると涙が後から後から出て来ました。その中で主は、賛美、賛美と何度も語られました。伊丹空港では、兵庫の皆様に助けられ成田に到着です。
成田に着いて、責任長老が、「このチームは賛美隊として行きます。」と語られました。もうすでに主の手の中に私はいたのです。

シナイ山、オリーブ山、ヘルモン山へ

 車椅子での派遣ですから、このスケジュールをすべてこなすことは無理ですが、どうしても、這ってでも行きたい所がありました。シナイ山ふもとの幕屋が最初にはられたと言われる場所での礼拝、オリーブ山、ヘルモン山です。行く前から神様から「紅海を渡り、シナイ山で仕え、向きを変えエルサレムに入城せよ」ということばがあったからです。
こうなれば、我が家の奥の手です。「天のお父様、天にいる夫にとりなしの祈りをお願いします。幕屋の所まで行けるように、−昨年シナイ山ではとても登れる状態でない中、神の言葉に従った時、鷲のように登れた事があり、あの時のように、もう一度主よ、お願いしますと−でも、まだ足は痛くて動けません。私はああ、天でも見離されたと思いきや、バスが乗り入れ出来ないのに、スルスルと動き出したのです。人々が、なんでここをバスが通るのだと見ていました。バスが、幕屋がはられたという場所の側まで行って下さったのです。そこでの臨在は、今も忘れられません。
オリーブ山では歩くことなく、バスが横付けで礼拝を捧げました。後で聞いたのですが、責任長老が、神様から「全員で」と語られていたそうです。私も賛美隊として立つ事ができました。次は、リフトで登るヘルモン山です。
私の同室の方は、伝道師であり看護師さんです。「ヘルモン山に行きたいのでしたら、私の指示に従ってもらいます」と、厳しくも優しい配慮がありました。私はその方の助けによって神様との約束の地に立つ事が出来たのです。その時には賛美隊としての自覚も、霊の戦いの最前線にいる自覚も備えられていました。ヘルモン山は、今年は雪もなく、空の青さ、美しさ、個人的な示しも受け取り、下山し、ガリラヤで船に乗りました。

天の御国の幻

 船上でぼんやりアルベル山を眺めていたのです。その時、思いによって上げられたのかどうか定かではありませんが、突然夫の顔がはっきり見えて来たのです。まるで映画の一コマのように。それは世の人の顔でなく、聖さ、優しさ、いいえ私と一緒にいた夫でなく、天で神に仕えている神の子としての夫でした。その後、船上での礼拝がもたれ、賛美の臨在の中、彩雲が現れ、預言があり、「あなたの弱さを用いる」との神のことばでした。
下船し、バスの中で、またもや、一カ所ぽっかり大きな穴が開いたようにきれいな景色が見えてきました。それがだんだん大きくなって、とっても空気のきれいなキラキラ輝いている景色を見たのです。木の葉一枚一枚がキラキラ輝いて、喜んでいるのです。川面もキラキラ輝き、水晶のように輝き喜んでいたのです。これはどこの景色だろう、私はこれからこの景色を見るのか、いや頭の隅に残しておこう! ああ、私は頭が変になった! どうしよう! 神様、助けて! この事はだれにも言うまい、そう思いました。でも、帰国して一体あれは何だったんだろうと思いました。そうしたら、思い出したのです。昨年マーリン師が語られた事を。天の御国では草や木が花がみんな喜んでいた。川が水晶のように喜び輝いていたと。私も見たのです、天の御国を。
夜の聖会のいやしのミニストリーでは、たくさんの人に祈っていただきました。私はかっこよく車椅子から降りて、いやされましたと言いたいと何度思ったことでしょう。でも、主は、ガリラヤの新年礼拝の時、「あなたはここを通らなければならない」と語られ、私は主にすべて委ねました。

膝のいやし、東部静脈瘤のいやし

 帰国後、整骨院の先生に笑顔で迎えられ、あの長時間の旅にこの膝がよく固まらないで耐えられたと、むしろ良くなっていると言ってくださいました。帰国してすぐ脛の静脈瘤はなくなって、痛みが全く消えていました。車椅子も必要なくなりました。
ですから、頭の事は足の痛みにとって替わられ忘れていたのです。
十二月四日カリスマ聖会後、頭の静脈瘤のいやしを求めて、責任長老に祈っていただきました。十二月十一日、MRIの再検査の日、私はもういやしを信じていました。MRIのカプセルの中で私は、「ああ、鳥のように」を賛美し、いやしを宣言し、感謝し続けました。カプセルを出る時は、すっきり、恐れもありませんでした。ドクターのお話は、五月の時の写真と合わせ、「ああ、通っていますね。」でした。私も写真を見て、静脈瘤がなくなりスパーッと通っている血の流れを見て、心から感謝しました。主です。主なのです。主のいやしです。それは見事でした。

 主は真実なお方です。そして夫のとりなしがあります。私たち家族は夫(子どもたちにとっては父親)は天に召されていても、死で終わることなく、天でのとりなしによっても、守られ、支えられているのです。

 今回の派遣は、皆様のお祈りと、私のために労力と時間を捧げて下さった牧師、伝道師の皆様の温かい愛によって支えられ、無事帰国することができました。私にとって終生忘れられないイスラエル派遣となりました。その置かれた一つひとつの事の中に、神の計画があったのです。皆様本当にありがとうございました。


  彼に信頼する者は決して失望することがない。(ローマ10章11節)



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