御心の祈りは、きかれるということがあります。

たとえば、聖書でソロモン王が、富や敵の命を求めず、知恵を求めて祈った祈りが、神の御心にかなったことがでてきます。もちろん、経済や物質的な、祝福を求めることは決して悪いことではありません。しかし、この時、知恵を求めることのほうが、富をもとめるより、より神の御心にかなっていたのです。この祈りは、すぐきかれて、ソロモンには特別な知恵が与えられます。

48の続きですが、たとえば、いやしの祈りについてもそうです。妻がまだ独身だった頃、心臓にアナがあいていた生後四ヶ月の友人の赤ちゃんの病気のいやしを祈りました。驚いたことに、いやしについてあまり知らなかったにもかかわらず、治ってしまいました。私と結婚して、新潟に行きましたが、そこで牧会しているとき、心臓病のお医者さんにさじを投げられたかたに、福音を伝え、いやしの祈りをしました。お医者さんには治らないといわれたかたでしたが、治ってしまい元気になってしましました。仙台に移って、住んだとき、今度は福島の赤ちゃんが、心臓のアナのあいた病気でしたが、祈っていく中でそれもほとんどなおってしまったのです。心臓病に関しては、癒しがなされる信仰が開かれてしまったので、どんどんいやされる信仰が、恵みによって与えられています。

ですから、心臓病の方の話をきくと、祈る重荷がきて、祈りたくなるのです。このように、与えられている、信仰によって祈ることは重要です。

46と47は、わたしがイスラエルに行っている間に、妻が書いてくれました。

私の文章とは、違うので、あれっと思われた方もいたと思います。祈りの力特別編ですね。48は元に戻ります。

45の続きですが、信仰というのは不思議なものです。いったん開かれると、そこからさらに、続いて同じような勝利が現されたり、それ以上の大きなことが起こったりします。なかなか、起こらなかった祈りでの願いが、起こり始めると次々に、またさらに大きな栄光が現されます。ですから、願っていることが御心とわかるなら、さらに大きなことを、祈り願うといいのです。ラジオに関しては、とうとうでてしまいましたから、ラジオ番組全体の時間をいただいて、毎週レギュラー出演ということも起こってくると、信じれるようになってきています。こないだイスラエルに行きましたとき、ご一緒させていただいた牧師さんが既に、毎週地方の番組の時間を1時間もいただいて出演しているかたでした。

ですから、私もそうなっていくと思いますし、全国版のラジオ番組にも出たり、レギュラー出演ということもでてくると、今は思えます。そして、今はそのようになることを信じて祈れるということです。

009.11.3

今、「やすらぎの歌」の新しい9集の歌集が発売されています。CDも、もうすぐ発売される前に、この教会のホームページのコーナーでインターネットラジトをクイックし、色んな賛美を聞いています。、「あ~この曲いいなあ~」と思う時、心に暖かいものが広がり、神様の愛を一瞬に感じていく喜びの時がたまりません。先日東北へ行き、デイケアサービスを2箇所、ゴスペルコンサートということで、秋田や仙台の方々と奉仕をする機械がありました。90代~100代の方々のいる施設では、みな車椅子で集まられ、「大きな愛」「花」など、一緒に首を振って歌っていた方もいらっしやったのですが、「普通はもう歌わない」と言って、事の大きさを教えて下さる方がいました。愛というのは、誰もが求めているもの、年を重ねて行けば行く程、愛の重さをあの時、一緒に賛美の中で共に過ごした人達は、心に深く感じるものがあったのかもしれません。賛美を通して神の愛に触れられることは素晴らしい神の恵みですね。数人の介護の働きをしている人達が途中で具合悪くなったりしないか、常にケア精神全うしている姿に涙がでてきそうになりました。「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」(箴言19:22)というみ言葉がありますが、常に人は「愛」をテーマに生きてる存在だということを、痛感するこの頃であります。又この時私たちは祈りをもって、心のいやし、体のいやし等、苦しんでいる多くの方々のためにも、神様にとりなしていくことを更に思わされます。

「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。」(ヘブル人への手紙13:8)今日もイエス様は生きて働いておられるお方だと、1通のお手紙をいただいて、心にそう思うのでした。まさか20年近くも思い病気を患っていた方とは全く知らず、しかし『わたしはいやされた!』の1冊の小冊子を差し上げたことがきっかけに。小冊子には神様に「いやされた」という証が載っているのですが、その中に賛美を通していやされた証が、その方の心に触れたようでした。

その方も賛美を通していやしを体験されていたのでした。私の知らない所で、その方の為にたくさんのとりなされる祈りもイエス様の前に届いておられたとおもいます。ご自身も「生きる」ことを真剣に歩む道を通過され、いろんな思いがあったと思いますが、今元気なお姿で私はその方とお会し、イエス様の恵みに預かり、神様がきのうもきょうもいつまでも、生きて働かれるお方である喜びを共に分かちあいました。今日もイエス様は私達一人一人の祈りを聞いて下さっておられることを、感謝します。

最近、東北に行ってきました。そして、FMのラジオにでたのです。祈りの力27、28で、書いたように、ラジオのことが進んでしまいました。やっぱり、信じたとおりになっていくんですね。AKASHIYAというゴスペルグループをやっていますが、7分間時間をいただいて、「大きな愛」というやすらぎゴスペルを歌いました。

まだまだ、と思っていても信仰が働くと、祈りはどんどん聞かれていきます。

ラジオはどんどん出ていく、ようになるでしょうね。また、全国放送のテレビとかラジオでの伝道にどんどんでるでしょうね。今でさえ、ラジオにでてしまうのだから。

メディア伝道ですね。

しかし、壊れたことを、感謝し始めると、まず、がっかりした気持ちから、抜け出て、心が守られ始めるということです。

そして、次に恵を実際に体験できるということです。相場をしっていれば、ミニ腱キーボードは、しかもアダプターつきは、1000円では手になかなかはいらないことがわかります。しかし、すぐにそれが手に入ったとき、壊れたことが、きっかけになって、新しい恵を体験できたことを、私たちはしります。壊れたことを感謝したとおりに、壊れたことがよかったことに、かわってしまったのです。

祈りの力42までの内容をまとめてみますと、
1)とにかく祈ってみる。1、3
2)形だけでも、祈る為の時間をとる。1、3
3)教会にいって祈れる人の祈りを真似てみる。2
4)教会にいって、祈ってもらう。4
5)具体的に祈ってみる。5~10
6)ベストを尽くして祈る。7~13
7)イエスキリストを信じる祈り。 14、15
8)祈りはコミュニケーション 16~19
9)教会にいく 20,21
10)聞く祈り、そして祈りの答え 22~25
11)心からの祈りと願い 26,27、28、~34                    

12)感謝とつぶやき35~39、40、41、42

40、41、の話のように、私たちは、つぶやきばかり続けていると楽しくないばかりか、精神的にやられてしまうほどになります。なんで、かわいいねずみちゃんを、薬で実験しなければならないのか、こんなことできない、なんていっていると、ますます憂鬱になっていくわけです。ところが、悪いように見えることを感謝をして祈っていくと、奇跡が体験できます。逆に、その悪いことが起こらなければ、この奇跡は体験できなっかった、というようになるわけです。42の話でも、キーボードが壊れたことは、決して人間的にはうれしいことではありません。(つづく)

一年ほど前に、携帯用の小さいキーボードが壊れてしまいました。

ゴスペルのコンサートに出かけて行くとき、練習するのに、必要なときがあったので、代わりのものが欲しかったのです。ずっとないままでしたが、それで、「1000円で、与えてください。電源が乾電池でひくことができ、またアダプターもついているものを。」祈りました。

すると、1000円のものが与えられました。ほとんどむずかしいはずでしたが、電源も乾電池とアダプターと両方つかえるもので、アダプターもついて、1000円でしたので、

主をほめたたえました。主は、すみやかに祈りに答えてくださいました。

その後何日かたってから、その方がやってきました、教会の集会に。その時、こないだの学生さんということで、その後どうなったかをききたくて、すぐ、お話を聞きましたら、

なんと、こないだの祈りが本当にきかれたということでした。

卒論のための、実験データをとっていくためのなんらかの機械が、こわれてしまった、というのです。私は、その機械がどんなものか、詳しくはしりませんでしたが、とにかくそのおかげで、教授が、「今までのデータだけでいいから、もうデータをとらずに、卒論をかいていい」ということになったそうです。「牧師さんのお祈り、ききめがありますね。」といわれました。もう、かわいいラットを実験で、ひどいめにあわせなくていい。彼女のこころも元気になっているようでした。

私の祈りにききめがあったのでなく、力ある全能の神が、私たちを憐れんで助けてくださったのです。

Coprygiht (C) Prayer Requests –TLCCC Tokyo Antioch Church