祈ることは、人が息をするのと、同様です。聖書は、霊の糧、人がパンを食べるのと同じ。それに比してたとえると、息をしなかったら、窒息してしまいます。常に祈りは必要です。「絶えず祈りなさい。」とIテサロニケ5章にあります。
あるいは、異言の賜物があるなら、いつも、異言で祈って、いるとよいのです。聖霊との交わりが、さらに深まります。Iコリント14:4「異言は人の徳を高めますが・・・」
祈りのちからNO.57
2012/03/02
祈りの力NO.56
2011/10/01
ですから、車がスムーズに移動できて、集会が成功することは、たくさんの方々がこれから、救われてくる永遠の命にかかわることで、重要なこと
なのです。ですから、移動が敏速に、集会が遅れずになされたことは、ほんとにありがたいことです。祈るときに、神は、霊的にも、実際的にも
重要なことを助けてくださいます。
祈りの力 NO.55
2011/09/29
NO.54の続きですが、車の移動についてあまり備えて祈っていなかったので、高速道路が通行止めとなることが、重なって起こってしまいました。
しかし今回は、備えて東北の教会の方々にも祈っていただいて、まったくスムーズに、移動することができました。車がスムーズに移動できることは、
たいしたことではない、と思う方もいらっしゃるかも知れません。しかし、聖会という教会の集会をする時、実は、永遠の命にかかわる重要な働きを
私達はなしているのです。
祈りの力 NO.54
2011/09/09
祈りは、祈らなければ何も起りません。最近、東北に行きました。
月に一度行ってます。3月11日の地震のあと、4月に行った時、余震のために通行止めにあってしまいました。
6月は、高速道路が今j度は、他の車の交通事故で、通行止めにあい、帰りは大雨による通行止めにあってしまったのです。
スムーズに移動できるように、祈っていませんでした。(つづく)
祈りの力53
2010/05/02
祈りの力52
2010/04/20
4:3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
御心の祈りは、一つ言えることは、自分の快楽の為の祈りではないということです。
本当の意味で隣人を愛する祈りは聞かれていきます。御心の祈りです。
祈りの力 51
2010/04/18
(50の続きです。)それだけでなく、知恵のほかに富みも栄誉もソロモンに与えられることになります。ですから、2倍、3倍の祝福が、御心の祈りにあるのです。では、御心の祈りとは、なんぞや、ということになります。ヤコブの手紙にこのようにでてきます。(つづく)
祈りの力 50
2010/01/03
御心の祈りは、きかれるということがあります。
たとえば、聖書でソロモン王が、富や敵の命を求めず、知恵を求めて祈った祈りが、神の御心にかなったことがでてきます。もちろん、経済や物質的な、祝福を求めることは決して悪いことではありません。しかし、この時、知恵を求めることのほうが、富をもとめるより、より神の御心にかなっていたのです。この祈りは、すぐきかれて、ソロモンには特別な知恵が与えられます。
祈りの力49
2009/12/04
48の続きですが、たとえば、いやしの祈りについてもそうです。妻がまだ独身だった頃、心臓にアナがあいていた生後四ヶ月の友人の赤ちゃんの病気のいやしを祈りました。驚いたことに、いやしについてあまり知らなかったにもかかわらず、治ってしまいました。私と結婚して、新潟に行きましたが、そこで牧会しているとき、心臓病のお医者さんにさじを投げられたかたに、福音を伝え、いやしの祈りをしました。お医者さんには治らないといわれたかたでしたが、治ってしまい元気になってしましました。仙台に移って、住んだとき、今度は福島の赤ちゃんが、心臓のアナのあいた病気でしたが、祈っていく中でそれもほとんどなおってしまったのです。心臓病に関しては、癒しがなされる信仰が開かれてしまったので、どんどんいやされる信仰が、恵みによって与えられています。
ですから、心臓病の方の話をきくと、祈る重荷がきて、祈りたくなるのです。このように、与えられている、信仰によって祈ることは重要です。
祈りの力 48
2009/11/30
46と47は、わたしがイスラエルに行っている間に、妻が書いてくれました。
私の文章とは、違うので、あれっと思われた方もいたと思います。祈りの力特別編ですね。48は元に戻ります。
45の続きですが、信仰というのは不思議なものです。いったん開かれると、そこからさらに、続いて同じような勝利が現されたり、それ以上の大きなことが起こったりします。なかなか、起こらなかった祈りでの願いが、起こり始めると次々に、またさらに大きな栄光が現されます。ですから、願っていることが御心とわかるなら、さらに大きなことを、祈り願うといいのです。ラジオに関しては、とうとうでてしまいましたから、ラジオ番組全体の時間をいただいて、毎週レギュラー出演ということも起こってくると、信じれるようになってきています。こないだイスラエルに行きましたとき、ご一緒させていただいた牧師さんが既に、毎週地方の番組の時間を1時間もいただいて出演しているかたでした。
ですから、私もそうなっていくと思いますし、全国版のラジオ番組にも出たり、レギュラー出演ということもでてくると、今は思えます。そして、今はそのようになることを信じて祈れるということです。
