白馬キャンプの祝福


感謝します。ハンナです。

私達は、白馬キャンプに神の特別な計画があることが語られていました。
白馬キャンプの前に、私は、神さまの子供たちに対する召しを受け取る事が出来ました。

長い間、子供たちに関わる仕事をさせていただいていましたが、私は自分にはむいていない!
だからもう子供にかかわらないでおこうと固く決心していました。
しかし、神さまはあらゆる所で、子供たちとの関わりを備えておられました。
そして子供たちに於ける神さまの召しを受け取らなければならないように、導かれました。
私は、「わかりました神さま。子供たちの働きに於ける召しを受け取りますから助けて下さい。」と祈りました。

その後、久し振りに実家の母に手紙を書きました。
それは、いつもは書かない内容でした。
どうしてそんな事を書いたのか、私自身も不思議でした。
手紙には、「教会に赤ちゃんが生まれ、子供たちも救われて来てとてもにぎやかになりました。
肉に於いても、霊に於いても新しい命が誕生するのは、とても素晴らしいです!!」と書いたのです。

すると、母からすぐに電話がかかりました。
それは、母の孫、私の甥っ子の事でした。

甥は、小学三年生で、10分としてじっとしておらず、嫌になると教室から出ていってしまい、宿題も全くしなく、 親も学校もどうしていいのかわからない状態であり、 「忙しいのは十分わかっているのだけど夏休みの間預かってはもらえないか?」という事でした。
というのは、甥が5歳の時、1週間くらい預かった事がありました。
その時、甥は、お祈りはするし賛美も覚えて母たちに歌って聞かせたので、 あまりの変わりようにみんなが驚いた事を、母は忘れていなかったのです。

常々母は、孫の様子に心を痛めていたので、私の手紙に思わず電話をかけて来たのでした。
私は、「でも、私たちは、キャンプやあちこち出歩く事が多いからねぇ〜。」と言うと、 「それに連れて行ってほしいんよね。
無理を言うて悪いんじゃけど頼めんかねぇ〜。」と母は必死でした。

私たちは、祈りました。

神さまは、この事は御心、この事を通して大きな計画がある!受け取りなさい。と語られました。
母に、「神さまが御心だって言われるから来させていいよ。」と電話をかけると母は、 とても喜んで妹夫婦に話して又、連絡するからありがとね。と何度も言っていました。
私たちは、この事の故に感謝し、全て神さまの御心だけがなるように祈っていました。 

<<妹夫婦の救い>>
7月29日〜31日までの白馬キャンプに間に合うように27日の土曜日に妹夫婦が、
小倉駅まで連れて来て私たちが迎えに行く事になりました。
でも、私たちは祈りました。
御心ならば妹夫婦が、家まで連れて来て願わくば、救われますように!と。
すると、「忙しいのにわるいけん家まで連れて行くけん。」と
妹が言ってきたと母から電話がかかりました。
神さまに感謝しました。

27日(土曜日)の夕方、妹夫婦と甥っ子と4歳になる姪がやって来ました。
私達は、神さまに導かれて賛美し礼拝を捧げました。
私は、2〜3日前から、以前良かれと思ってしたり、 言ったりした事が実は妹の主人を傷つけていた事の悔い改めと 本人にきちんと謝らなければならない事が神さまに導かれていました。
いっしょに食事をして台所で片付けをしている間中、神さまからとても強いうながしがありました。

主人は、牧師ですからいろんな話を聞きながら、福音を語っていました。
私は、神さまがいわれる通り、私がなすべき事をちゃんとしないと 主人がどんなに一生懸命福音を語っても、 何を言ってもきれいごととしか 取らないし受け入れないだろうなと思いました。
神さまに「勇気を下さい。」と祈って、妹の主人の前に座り、 「傷つけた事を許してください。」と謝罪しました。

そして、「私、変わったでしょ!真の神さまにこの教会に導かれてお会いしたの!私を変えて下さった素晴らしい、今も生きて働いて下さっているこの神さまを知ってもらいたいの!この全てをお造りになられた創造主、偶像じゃない真実な神さまを信じてほしいの!地獄ではなく、天国に行ってほしい!残された人生をイエスさまといっしょに歩んだら素晴らしいよ。」と言いました。

妹の主人は、少し涙ぐんで聞いていました。
その後は主人が話し、私は妹に神さまのして下さった素晴らしいお証しを話していると、 妹の主人は、主人の導きで、イエスさまを信じ、救われました。
次に、妹も、主人の導きで、イエスさまを信じ、救われました。

私は、良かったね。これでもし、明日死んでも天国だからね。」と言うと、二人は笑っていました。
その後、妹夫婦は甥っ子を置いて広島に帰って行きました。

<<甥っ子の救い>>
私たちは、28日の礼拝が終わって夕方5時のフェリーで大阪まで行って、そこから車で白馬まで行きました。
朝早く、大阪に着いて車で移動中に甥は「僕、神さまの子供になりたい。」と言いました。
私が、「本当に神さまの子供になりたいの?」と聞くと「そりぁ〜なりたいよー!」と言いました。
「じゃあ、このキャンプの間に神さまの子供にして下さいとお祈りしようね。」と私は言って祈りました。

途中、前の車が真っ黒い煙を出して走っていました。
すると甥は、「正好おじちゃん、僕前の車のマフラーから煙が出てフロントガラスが汚れるのが嫌いなんだ。祈ってよ!」と言いました。
私は、「自分で祈りなさい。」と言いました。
すると、甥は「それでは。」と両手を合わせて「神さま、僕は煙でフロントガラスが汚れるのが嫌いです。車をどけて下さい。」と祈ったのです。
その直後、煙を出していた車は斜線移動したので私たちは、その車を追い越して行けたのです。
それを見て、甥は「すげえ!」と目を丸くして叫びました。
私たちは、「神さまってすごいでしょう!お祈りを聞いて下さるのよ。」と言うと「うん!すごいねぇ!」と言いました。
「じゃあー、お祈りを聞いて下さった神さまに感謝しよう!」と言って祈ると私の後について甥は、しっかり祈りました。

甥は、主人と同じ部屋で私とは別になりました。
その事で全面的に甥の世話は、主人がしなければならなくなりました。
1日目の夜の聖会では、甥と私は小学生の所に行きました。
しばらくは、その中にいましたが甥はみんなの中に入れなくて「正好おじちゃんのとこに行く。」と言いました。
ハンナ 「正好おじちゃんのとこは、礼拝だから静かにしなければいけないからだめ!」
 甥  「静かにする。」
ハンナ 「昨日の北九州の礼拝の時みたいに、まだ賛美するの?嫌だ!とかやかましいといって耳を押えたりするんだったら行けないよ。」
 甥  「しないから連れてってよ〜。」


私は甥に、しっかり約束させて聖会の場所に行きました。10分とじっとしておれないと聞いていたので、甥が静かにしてくれて私が最後まで聖会に出る事ができるように祈っていました。
甥が少しおしゃべりを始めると、「子供のとこに行くよ。」と言うと甥は小声で「静かにする。」と言って、最後まで出て行く事なくおとなしくしていました。
私は、甥はおしゃべりしたり出て行ったりするだろうから全ての聖会には出られないだろうと白馬に来る前からあきらめていました。
でも、神さまはあわれんで下さって全日程、全て出る事が出来ました。

二日目、三日目と甥は喜んで手を上げて賛美していました。
退屈する頃には、主が甥に深い眠りを与えて下さったのです。
そして、なにより素晴らしい事をして下さいました。
甥が、主人の導きで、イエスさまを信じ、救われたのです。
神さまの計画は、最善です。

<<父の救い>>
白馬に行く前から神さまから語られていた事がありました。
それは『帰りに実家に寄り、父に福音を語りなさい!最後のチャンス!です。』と。
私は父が信じなかったらどうしよう、救われなかったらどうしようと恐れが沸いてきました。
一生懸命祈りながら実家に行きました。

着いたのは、朝の4時でした。
両親は寝ないで待っていてくれました。
着いて私が目にしたのは、病んだ父の姿でした。
母は、私達に心配をかけまいとして父が4度も 入退院を繰り返していたのに一度も言わなかったのです。
これで神さまが、最後のチャンス!と言われた事がわかりました。

すぐに神さまの導きで私たちは、賛美をし礼拝をしました。
その後すぐに、主人が「お父さん、イエスさまを信じますか?」と言うと、 父は「普通にしとってええんですかの?」と聞きました。
父は、病んでいたので正座する事が出来なかったのです。
私が「楽にしていていいよ。」と言うとうんとうなずいて、 牧師の導きで、イエスさまを信じ、救われました。

私は、まるで夢を見ているようでした。
あの父がこんなにあっさりと受け入れの祈りをするなんて!
ただ、ただ驚きと感謝でいっぱいて゛した。

もし、この白馬キャンプがなければ、この4名がこのように救われることはなかったでしょう。白馬キャンプは、群れの教会で祈られており、移動を含むキャンプのすべての上に全能なる神の手があったのです。神は、このキャンプで多くの方に祝福を与えられましたが、私たち家族親族まで、すばらしい祝福を与えて下さったことを感謝してます。


「なぜなら、もしあなたがたの口でイエスを主と告白し、
あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、
あなたは救われるのです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」

(ローマ10章9〜10節)



主の十字架クリスチャンセンター北九州生ける神の教会
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