めぐみによって聞き従わせて下さった神

感謝します。エリヤ山下です。


 私は、以前、牧師として立てられていました。しかし、牧師をやめる事になりました。そして、多くの苦しみの中を通されました。
 その中で、主がめぐみによって、群れの教会に引き戻し、主に聞き従うめぐみに預からせていただいています。その事について、証しさせていただきたいと思います。

  私は、恐ろしい夢を見ました。その夢の中で山の上を歩いていました。しかし、あたり一面暗闇で何も見えません。赤い光が少し見えたので、そちらのほうに向かって歩き出しました。すると、右手の谷底のほうに赤い炎と、溶岩のようなものが見えました。私は恐ろしさのあまり向きを変え、後ろの暗闇のほうを見たのです。ところが、その暗闇の中に青白く光る目がこちらを見ているのです。目を凝らしてよく見ると、それは10匹の竜の目でした。私はその場に腰を抜かしてしまいました。そこで目が覚めたのです。

  この日、5日目の断食の朝だったのです。主のみこころを求めての個人的な断食でした。このあと、よく眠れなくなり、2時間おきくらいに、目覚める日が続きました。
  そして、2003年7月9日、教会に行って、牧師に祈ってもらいました。主の恵みによって、その夜からぐっすり眠れるようになりました。
 その日、牧師がこういわれたのです。「きょうは、パトモスにチームが遣わされた初日です。」そのときには、意味が良くわかりませんでしたが、後日このことを思い起こし、主の導きの完全さを思わされました。主の主任牧会は群れを離れていたとしても、完全になされていたことを知りました。しかし、私はまだ群れに戻ることをためらっていたのです。

 2003年9月10日、牧師からの留守電が入っていました。「大分でカリスマ聖会があります。東京から講師の方が来るので、一緒に行きませんか。」と言うことでした。
 私は心をこめて祈りました。すると、個人的ディボーションのみことばが、思い出されたのです。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。・・・立ちなさい。さあ、行くのです。」(マタイの福音書26章45節〜46節)朝読んだときに、気にはなったのですが意味が良くわかりませんでした。
 祈った時、これは主からの語りかけであり、導きであると確信したので、すぐに電話をして、一緒に行くことにしました。

 大分に向かいだした途端、雨が降り出し、降ったり止んだりの繰り返しでした。「中津」を過ぎたあたりで、真正面に薄い虹が見えました。初めは薄かったその虹は、見ているうちに色が濃くなっていきました。
 道が曲がっているのでその虹が見えなくなると、今度は右に、次は左に現れました。左半分のもの、右半分のものもあり、こんなことが何度か繰り返され、別府サービスステーションに着いた時には、2重の虹が現れたのです。そして真上には彩雲まで現れ、私は恐ろしささえ覚えるほどでした。この2ヶ月前から、虹をしるしとして、見せてくださいと祈っていたのです。
 主は、結局この日は7回の虹、そして彩雲を見せてくださいました。大分に着き講師の方々に、再会することができ、感動のひと時を持つことができました。

 群れを離れて6年が経っていましたが、主はこの群れに戻ることを望んでおられ、聞き従いの歩みを全うするように、みことばを以って示されました。
 
 いま、教会の早天祈祷、祈祷会に出席し、礼拝をささげることによって、以前にましてみからだに居ることの、すばらしさを感じています。みからだである教会に属することで、慰めと安らぎを体験しています。
 キリストのからだの一部分としての、恵み、祝福がいかに大きいか、祈り聞き従いの歩みが、聖書的であるかを、改めて痛感しています。主は、今回、教会の伝道師補として、按手して下さいました。
 さらに、教会の管理の下、権威、秩序に従って、へりくだって、主に祈り聞き従って行きたいと思っています。

 すべての栄光を主にお返しいたします。



主の十字架クリスチャンセンター北九州生ける神の教会
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