九州賛美大会一次予選でなされた神による奇跡 | |
みなさん、こんにちは。 九州賛美大会一次予選で主がなして下さった奇蹟のお証しをします。 今年、主は、 子供たちのチーム、婦人たちのチーム、牧師夫婦と佐伯夫婦のチームと具体的に示されました。そして、それぞれのチームに聖書から名前を与えて下さったのです。 子供たちのチームには、使徒の働き16章25〜26節から『ミラクル』、婦人たちのチームには、ヨハネの黙示録21章6節から『聖所から流れる命の水』、夫婦チームには、ヨハネの黙示録21章25〜26節から『聖なる都エルサレム』と名前を与えられたのです。 そして、「水曜日と土曜日に賛美の練習をしなさい!」と語られました。 毎週、毎週子供も大人も祈って賛美の練習をしていきました。 子供たちのチームは 真実ちゃんと光君は、賛美が大好きなので「もう一回ね。」と 虹くんも賛美したいのだけど、超敏感ですぐアタック(霊的な攻撃)を受けやすいのでなかなかすんなりと練習出来ない時がありました。 虹くんもお母さんといっしょに「今日はさわがないで、ちゃんと練習する事が出来るようにして下さい。」と祈って来るのですが.........。 その度に寝る前に悔い改めのお祈りをする、この繰り返しでした。でも2月2日の礼拝で特別賛美をしました。 この日、虹くんは前日から体調が悪く、朝から熱が出ていました。ぐったりしていて、いつものわんぱくな元気じるしの虹くんの姿はなく、横になっていました。 でも、特別賛美の時、前に出て一生けんめい賛美をしたのです。 こんな状態では、無理だろうなと思ったけど「虹くん、賛美がんばってできるかな〜?」と言うと「きつい。」といいながらも立ち上がって賛美をしました。またある時、夜に用事で佐伯家に電話をかけた時、虹くんが出ました。 ハンナ「あら!もうすぐ10時だよ。まだ起きてるの?早く寝なさいね。」 虹くん「うん、今からねる。」 ハンナ「賛美の練習、した?」 虹くん「せんかった。」 虹くん「うん。わかった!」 虹くんは、その後しばらくしてお布団に入ったのにいきなり起きて「ハンナさんが賛美の練習しなさいね。っていったから賛美の練習する。」と言って、すでに寝ていたお兄ちゃんの光君をたたき起こして練習をしました。お兄ちゃんは眠くて1回しかできなかったけど、虹くんは1人でその後も練習をして寝たそうです。その姿を見ていた両親は主から「1日、3回二人で賛美の練習しなさい。」と語られていたのですが、なかなか出来なかったので悔い改めましたと証しされました。
だから、ひたすら祈るだけでした。 2月4日の火曜礼拝で、賛美大会の練習の総仕上げとして、礼拝で特別賛美が導かれました。 そして、いよいよ賛美大会の一次予選の日が来ました。34チームが出場しました。 子供たちは、30番目だったので眠くなったりしましたが神さまが助けて下さって賛美する事が出来ました。
北九州生ける神の教会から「アカペラ」で3チームも出る事が出来た事、それ事態が奇蹟でしたから、その事だけでも「感謝、感謝」でいっぱいでした。でも、神さまは、さらに奇蹟をなして一次予選に入れて下さいました。 この賛美大会の一次予選の前には、半端でないアタックがありました。 子供たちが次々と高熱を出したり、お腹を下したり、嘔吐したり、大人は咳きが止まらなかったりしましたが、牧師が「これは、よほど御心が大きく祝福も大きいという事ですから感謝しましょう!」とその度ごとに言いました。 みんなも、「そうですね。感謝、感謝。」と答えていました。
またその後の殉教聖会の時、神のしもべ長崎教会のC.Sに光君と虹くんを入れてもらいました。帰ってきて、食事の前のお祈りで虹くんが「この日用のかてを感謝します。」とお祈りをしたそうです。 すると、光君が「どうして、そのお祈りをしたと?」と聞いたそうです。 神のしもべ長崎教会のC.Sのお兄ちゃんがしたのを聞いていたようです。 そして、「イエスさまのビデオを見て賛美をしてお菓子も食べて、たのしかった〜。」ととても喜んでお母さんに話したそうです。
長崎を出る時、夜空には星が輝いていてみんなで「星がきれいねぇ。」「ほんとだ!」「これだったら、早く帰れそうね。よかったね。雪にならなくて。」とみんな賛美大会が終わって喜んで、少しほっとして出発しました。 すると、川登のインターの手前まで来ると“古賀から通行止め”の表示が見えました。 「えっ!嘘でしょ!だって雪降ってないのに?」と思わず言いました。 川登のインターに止めて確かめました。 やはり、間違いではありませんでした。 半信半疑ですぐに出発しましたが、進むうちに古賀ではなくもっと手前の東背振から先が通行止めになってしまいました。「祝福があまりにも大きかったのでサタン(悪霊)の攻撃もあって当然!感謝しましょう。しかし、危険だから油断しないで祈っていってください。」といつものごとく牧師の感謝がみんなに言い渡されました。 みんなも感謝が浸透してきているので、「はい。」とすぐに応答されました。 東背振から一般道路に降りて帰りました。 冷水峠のトンネルを出たら、それまではチラチラ降っていた雪がすごい大雪で前が見えにくいほどでした。途中、積もった雪が少し凍り始めていた所もありましたが神さまは、帰る道のりも具体的に導いて下さいました。 「いつもの香春回りではなく、八幡回りでかえりなさい。」と牧師に語られました。 その方向に行き始めたその時、先に行かれた香春キリスト教会の牧師さんが電話をかけて下さいました。それは、「こっちは、チェーン規制がされてるよ。」と教えてくださったのです。実は、牧師号以外の二台の車は、ノーマルのタイヤだったのです。 まさに、神さまが香春回りではなく八幡回りで帰るように語られた事の確認になりました。 八幡まで来るとやはり、すごい雪が積もっていて都市高速も全面通行止めになっていましたのでそのまま、一般道で帰りました。 この道のりは、牧師夫妻が毎週、長崎から帰る時、一般道路を6〜7時間かけて帰っていた事が益になって用いられました。 もし、気温が少しでも、低くなったらこのようにスムーズに帰られなかったでしょう。神さまは祈りに具体的に答えて下さいました。 すべてのことを感謝します。
その時、牧師夫妻が言われたのに従わなかった事を真剣に悔い改めのお祈りをしたそうです。 そして、霊的な権威の後に従って、運転する時、何の不安もなく、スムーズに運転できたことを感謝しておられました。 神さまは、本当に生きておられ、すべての事を益として下さいました。
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