天国への凱旋


みなさん こんにちは ハンナです。

父「峯光力:79歳」の召天にさいして、各教会と多くの方のお祈りを感謝します

皆様のお祈りにより、父の素晴らしい前夜式と召天式がなされました。父は2002年7月30日に救われ、召されたのが2003年11月30日で丁度1年半でした。神様は、この間、父を地上に置いて下さいました。

父は、体中の皮膚に水ぶくれが出来、それを治すため、とても強い薬を飲み続けなければなりませんでした。そのため、副作用で感染症をおこし、白血病、心不全、糖尿病など、ありとあらゆる病に冒されていました。

2002年7月の白馬のキャンプの前から、主が「キャンプの帰りに実家に寄って父に福音を語りなさい。これが最後のチャンス。」と語られていました。父は、イスラエル牧師(長女の夫)をとても尊敬していましたが、救いの事になると、どうしても「それだけは、こらえてくれ!」と言っていました。父の祖父がお坊さんだったからです。

昨年の白馬キャンプの帰り、朝の4時、実家に着きましたが、父も母も起きて待っていてくれました。私は、父が病んで弱々しくなっているのを見て、とてもショックを受けました。と言うのは、私が知る限りの父は、とても強く、決して弱音をはかない父だったからです。水ぶくれがつぶれて、枕も下着も血だらけになる状況で、とても痛々しくて思わず「父ちゃん、痛かろう。」と何度か言いながら、母は薬をぬっていたけど、1度も痛いと言わなかったそうです。

4度も入退院を繰り返していたのを、母から聞きました。母は、私たちに心配をかけまいとして、何も言わなかったのです。

神さまの導きですぐに、礼拝しました。そして、イスラエル牧師が「お父さん、イエスさまを信じませんか?」と言うと「どうしたらええんですかの?」と聞きました。父は病んでいたために、正座が出来なかったからです。父には、神さまの前で足を投げ出して、なんて事はとんでもない事だったのです。「楽にしていいです。」と言うと、うなずいて、イエスさまを受け入れる祈りをして救われました。そのあと、父は、また、A病院に入院しました。

現在は同じ病院に長くおれないシステムになっているので、転院先を探さなければなりませんでした。でも、神様は父に良くして下さいました。担当医も看護婦さんも優しく父に接して下さる方々でした。転院出来るかなと思っていると体調が悪くなり、7ヶ月近くも置いていただくことになりました。B病院に転院する時も、病院の車を使えるように手配して下さいました。

2003年7月10日(木)、主の導きで父の所に行きました。少し、ボケが始まってきて、来て下さった方が誰かわからなかったり、所々忘れてしまっていたりすると聞いていたので、私の事も分からないかも知れないと覚悟をしていました。でも、「久し振りじゃのう!」と子供のように喜んでくれました。

「主の十字架クリスチャンセンターの群れの教会」から、「イスラエル・ヨルダンチーム」(2003年11月17日~29日)が遣わされ、11月23日に、ヨルダンの「ネボ山」で礼拝が導かれました。その日の「北九州生ける神の教会」の第三礼拝の始まる直前に「父が肺炎を起こしかけて熱も9度近くある、危ないかもしれないと言われた。祈って!」と母から電話があり、このことも、神様に感謝して、必死で祈りました。7度2分に下がり、翌日には平熱になったので安心していました。

11月30日、母と妹が病院に行って、父に昼食を食べさせました。それで帰るのですがこの日は、翌日から妹が仕事のため一週間来られないので夜の食事も食べさせてから帰ることにしました。外に出ていて帰って来たら、父の様子がおかしいので声をかけました。手を握ると目は閉じたまま、涙があふれ、ティッシュで拭きました。3度これを繰り返して、静かに天に召されたそうです。『母と妹が来るのを待っていたんだな。』と思ったそうです。院長先生も「わかられましたね。良かったですね。」と言って下さいました。この病院でも、院長先生はじめ、看護婦さんや介護の方々に本当に好くしていただきました。

母から電話で、父が天に召されたことを聞きました。神様は、この事も益として下さる事を信じ、感謝しました。そして、「広島・神の教会」の「漆間牧師」に、式をお願いしました。

12月1日が、前夜式、2日が召天式となりました。母は、すぐに父の遺体を運ばなければならなかったので、地元の葬儀屋さんにお願いをしました。

一度もキリスト教式で、葬儀をした事がないので少し混乱がありました。家族、親族は多くないので「式次代の数、100枚で足りますか?」と聞かれた時、私は「十分です。」と答えました。私は、20〜30人くらいだと思っていました。でも、前夜式と召天式を合わせて約140〜150人も来て下さって、あわててコピーをしたそうです。

私たちは、「北九州生ける神の教会」で、「孤児院の報告会」があったので、前夜式には間に合いませんでした。

この町では、キリスト教の葬儀は歴史が始まって以来、初めての事で、家族、親族の戸惑いと来られた人々の驚きの中、神様の力強い手によって、素晴らしい前夜式と召天式となりました。

両方の式の後で、式次代の裏に「救いの招きの祈り」が印刷してあり、それを「受け入れたいと思う人は、いっしょに読んで下さい。」と言われ、かなりの人が読んでおられたそうです。

召天式のメッセージは、ローマ10章11節から、「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」が語られました。

父は、この世では何も、主の働きは出来ませんでした。

でも、最後に人口1万2千497人の広島県豊田郡安芸津町の小さな町でキリスト教の葬儀の初穂とし、一粒の麦として用いて下さいました。

母もクリスチャンとして、キリスト教式でと一歩も引きませんでした。「広島・神の教会と皆さんと、多くの方のお祈りがあったから出来た。今から同じ事をしなさいと言われたら恐ろしくて出来ない!良くしたと思う。」と言っていました。

講中の役員の一人で「わしは、50年講中の世話をしているが、こんな式は初めてじゃ!」と母に言われました。

その中で、不思議な事に、「集会所を広島・神の教会で借りられますか?」と「漆間牧師」が聞かれたら、「いつでもどうぞ。」と役員の方が言われたそうです。風早の地での「集会場所」が開かれました。

今回の「イスラエル・ヨルダンチーム」の「ネボ山の礼拝」で、群れ全体に、「実際的な占領の歩み。」が語られました。正に、父の式を通して、占領の歩みとなりました。

召天式後、「妹のお姑さん」が救われました。

主が、父の死を、神の働きのため用いて下さったことを心から、感謝します。

 

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。

一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。

しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」

(ヨハネ12章24節)


主の十字架クリスチャンセンター北九州生ける神の教会
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