御体なる教会にとどまる喜び
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12章27節)と聖書に書かれています。
ある火曜礼拝に、少し早めに「佐伯伝道師」と「愛(めぐみ)ちゃん」(2歳)が来ました。
私は、礼拝準備をしていました。
私は、少し疲れていたので、主に祈りつつ準備をしていました。
【主よ。あなたの御心の準備をする事が出来る力を下さい。御心の賛美の奉仕が出来るように助けて下さい。】と。
そこに、二人が入って来られました。
めぐみちゃんは、小さくてもいつも、とても元気に「こんばんわー!」と入って来ます。そして、必ず「ぼくちは?」(ここ数日前から、突然、《ぼくし》と言えるようになりました。)と、聞きます。
この元気な声を聞いた時私は少し、元気が出てきました。
そして、佐伯伝道師と話している中で、「お母さんが、たけのこを張り切って炊いてたっちゃね!」と言いました。佐伯伝道師のお母さんは、昔いろんな事で深く傷ついておられ、疲れ果てて人生をあきらめておられました。
だから、随分長い間、料理はほとんどされませんでした。
でも、主の導きで、何回か家庭礼拝がなされていく中で、少しずつ、変化が出始めました。ある日、「おばあちゃん」(83歳)の介護の方が辞められました。
その事を感謝して、教会でも祈り、佐伯伝道師も祈る中で、主が扉を開いて下さいました。佐伯伝道師が、おばあちゃんの介護に行く事が決まりました。
そして、初めておばあちゃんの介護のために、実家に初出勤しました。
そこで、佐伯伝道師は、お母さんが台所に立って、一生懸命料理をされている姿を見たのです。お母さんも、佐伯伝道師もいろんな事で、お互いに傷ついていま した。でも、【主はこのおばあちゃんの介護を通して、二人の心の傷も癒そうとしておられるんだなあ~。】と思わされました。
そんな事を思っている内に、私は、心の深い所から喜びがわいてきました。
佐伯伝道師のおばあちゃんもお母さんも、救われていますがまだ、教会には来られていません。でも、「北九州生ける神の教会」の御体の各器官の一部である佐伯伝道師の喜びが、同じ御体の各器官として、ともに喜ぶ事が出来る事に感動しました。
その内、他の姉妹や兄弟が礼拝のために来られました。
イエス・キリストの御体なる教会の各器官の方々が一人、また一人と集まって来られる事で、私は、さらに元気になりました。また、御体なる教会の各器官の一人一人がそろっていく事で喜びがあふれてきました。
《御体なる教会の主にある喜びを!!》を体験させていただいています!
この日の火曜礼拝で、主のすばらしい喜びがあふれてきました。
私達一人一人は、御体なる教会の各器官としてなくてはならない存在で、主に愛されていることを、思わされています。
主に心から感謝します。
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものを
いっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」
(Ⅰコリント12章27節)
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ43章4節)
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